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【今回は不謹慎なネタが含まれております。普段から脊髄反射の癖があると思う方は、コメント欄は承認制であることを理解した上でお読みください。】



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日記:スーツ(笑) side | 12:05:32 | Trackback(0) | Comments(0)
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雷句問題とヤングサンデー廃刊に共通する、小学館が抱える「死に至る病」
いまこそ「編集王」読みなおそう

まゆたんブログ:思うこと。

基本的に、会社の認識としては、「企業と作家は対等ではなく、企業の戦略に従ってください」ということでしょう。編集者はマーケティング部の人間、マンガ家は開発部よりの人間であり、小学館の場合、開発を軽んじ、マーケティングを重く見すぎているということです。

これは、マンガが「工業製品」や「コモディティ商品」であるならば、それほどおかしな話ではない。そして、マンガの「工業化」は「編集王」の時代からくりかえし描かれています。マーケティング主導で製品開発を効率化するのは道理です。開発部門であるマンガ家は、「特許報酬」を与えられるのだからそれでいいじゃないか、と。

ハッキリ言って、効率なんかより作品を生み出す人がすべてであるといってもよいのに、経営者に経営の知識がなく、マネジメントの最大の目的が「人材の育成」になく、「効率化」であると誤解したまま組織を作ると、必ずこうなってしまうのです。 (本当は流通や営業など書店との関係性もすごく重要ですが、割愛)

というより、「ジャンプ」という「マンガ家育成のための専門システム」が出来上がっている雑誌以外、基本的に、マンガ家というのは、サラリーマンのような扱い、しかも編集者より下になっているというのが大問題なわけです。その結果、小学館の編集者は、完全にサラリーマン化し、さらに、一部の編集者は大企業で多くみられる「クソッタレ上司」と化しています。



しかし、この編集者の認識は明らかに問題があります。なぜなら・・・編集者とマンガ家のスキルセットやキャリアパスは重ならないからです。です。マンガ家は別に出世して編集者になるというわけではない。編集者はいざとなったらマンガ家の仕事ができるかというと、出来ない。編集者の1でマンガを作ったら、マンガの価値は0になる可能性もあるし、マンガ家の1でマンガを作ったら、面白いかもしれないけれど、売れない。1+1を1にすることですら至難の業。そのため、両者がお互いの足りないところを補ったり、よいところを伸ばしたり、そのために高い志を共有したり。そういう関係でなければいけないのではないでしょうか。

さらに突っ込むと、編集者とマンガ家の目的や責任が一致しないことも問題です。特に同人上がりのマンガ家は「目に見えている読者中心」思考が強い。責任の意識は読者の側に向きやすいでしょう。一方で編集者は第一に会社に対して責任を負う。読者に関する距離感の差は大きい
私が勤めているサラリーマン組織では、「製販一体でお客様の方向を向いて仕事をしろ」などというキレイな言葉が叫ばれてしますが、実際には 「製」が見ているお客様と「販」が見ているお客様の見ている姿が一致せず、さらに両者の関係も対等なものになっていないため争いが絶えませんよ。。ウチの会社の場合は逆に「製」(マンガ家サイド)が強すぎるため、全然売れない製品を「販」(編集サイド)に無理やり押し付け、逆に編集者が虐げられてるわけです。



つまり

今の組織のままで、マンガというものに対する認識が今のままではダメなのですよ。自分の雑誌のコンセプト、つまり「どういう読者に向けた作品を作るのか」すら決めずに、マンガ家を優遇すれば済むとか、お互いに仲良くとか、そういう単純な話じゃないんですよ

私のブログの200回〜300回目あたりをでは、自分なりに雑誌ごとのコンセプトについて考察をしている時期がありした。その時から、小学館から出ているマンガはコンセプトがよくわからないといっています。自分が読んでいる中にテーマを感じるのは「ビッグコミックオリジナル」だけです。特にヤングサンデーという雑誌には、本当に適当だと思う

この雑誌はすばらしい作家、面白い作品がたくさんあると思います。しかしこの雑誌の部数が圧倒的に落ち込み、真っ先に休刊になったのは、仕方がないのかな、ともおもいます。マンガ家の単行本はほしくても、雑誌としての魅力が感じられないからです。

単行本を売りたいのか、雑誌を売りたいのか、まずそれを明確にしていない。
両方なら、余計に考えなきゃいけないのに、何も考えてないように見える


巨人軍にアンチが多いのと似ています。大物作家をいくら抱えても、まとまりがないとチームとしての魅力に欠ける。巨人軍の場合は地域密着性や歴史という下支えがあるものの、マンガはその点で仮想のものですし、拠点が目に見える形で存在しないため、非常に弱いのです。(この問題は、編集王の10巻あたりから論じられています。「とLoveる」などのエロ問題についても論じられているのでぜひ読んでみてください。)

「○●キャロット5」のように、エロゲーでただキャラが多いだけでは全然嬉しくないのも同じ。全然テーマ性のないキャラがいくらたくさんいようとも、価値が積み重ならないんですよ。むしろ苦痛に感じる。リソースの問題じゃないんですよ。絞り込み程度で質が上がるなら「ガンガンウイング」が最強雑誌じゃないとおかしいだろ、と。私がリソースの問題も考えてないと思われたのは非常に癪なのでここでも書かせていただきますけれども。

「あの作者のマンガが載っているから」そんな理由で読者を呼べるのは今のところ「Hunter×Hunter」くらい。それにしたって、今はコンビニで立ち読みする人が多いのだから、それだけでは本は売れない。そのくらい分かっているはずなのですがね。最低でも4〜5人は常に読む作家がいなければ、雑誌をわざわざ買ったりしないのですよ。

まぁそういうわけで、今回の問題を、「作家と編集だけの問題だけ」で考えても決してうまくいかない。その点を強く主張しておきたい。その下に死にいたる病が潜んでいると思う。
完全に全体がサラリーマン化して標準品しか生み出せなくなる前に社内の意識改革をするか、それとも今のままずるずるいって、マンガ関係部門を外に切り離さざるを得ない状態になるか。とりあえず、危機感は持った方がいい

こういうことを書くと、他人事だから偉そうなことを言うんだという説もありますが、「消費者は、時に社長よりも強い権力」であり、社長が無能な時は、消費者が介入する必要があると考えています。そして、もし小学館が新しい取り組みを私たち読者の為にしてくれたなら、その時は全力で応援するべきだとおもうのですよ。

【参考】
たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1)
次のエントリが非常に楽しみ。

不倒城: 漫画家さんと編集さんの関係について、ちょっと思ったこと。
続編希望。

これって,編集主導型の漫画編集に対する批判なのか? - WebLab.ota
・・・。

日記:スーツ(笑) side | 22:33:31 | Trackback(0) | Comments(0)
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無能なマネジャーに教育されるくらいならいっそ放任を
放任や自由のほうがましなのか、いやしかし・・・

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 神話に一撃!「日本人のしつけは衰退したか」

 子どもを放任してたのはむしろ昔(高度成長期以前)で、今どきの親たちは、はるかに子どもに手間ヒマお金をかけている。現代の親たちは、「教育する家族」のマネージャーとして、しつけや教育の担当者、手配師、責任者の役割を果たしている。


つまり「学校と親が協力すれば何とかなる」という希望的観測はニセモノらしい。

新中流階級、つまり「大きな集団」に属し、判断をマスコミやら周囲の動きにゆだねてきた方々が、いくらがんばって「教育ママ」をやろうが「サッカーママ」をやろうが、結局はろくな結果にならない、という今までの希望が打ち砕かれることになる。学校の教師も、親も、どっちも無能なマネージャであり、こいつらがいくらよってたかって教育しても、子供の負担が増えるだけで無意味ですよってことなんだろう。

これは、会社における「ミドルを底上げすることで経営改善できるという発想がまやかし」という話と似ている。

会社の改革においては、最終的にはトップの関与が関与し、「制約条件(売り上げ至上主義など)」を取り除き、「選択と集中」を行うなど、方向性や評価基準といったDNA自身を変化させなければ生き残れないとされている。

同様に、子供の教育についても、国をあげての教育方針の転換(求められる能力の定義を改定)と共に、「有能な教育者」が出てこなければ、もはや子供は救われないってことかもしれない。安部首相が取り組もうとして、結局全然うまくいかなかったヤツだ。



ただ、日本には、たぶんできないんだろう。

できないなら、本気で「子供の教育に最低限必要なもの」を規定して、それ以外は子供の自由に任せたほうが良い結果が得られるような気がしてみましたよ。これは会社員の教育としても然り。(まぁこっちはモトをとらにゃいかんので制約条件はより厳しいですが)

とにかく、あんまりとやかく教育を「産業の食い物」にしてしまわないように、画一的なイメージで縛ってしまわないように。そう思います。今の受験勉強のための塾や学校なんかいくらつぶれてもかまわないので、子供の将来だけはつぶさないでほしい

金や将来をむしりとるのは、もういまさら教育しても手遅れな大きなおにいちゃんとかスイーツ(笑)な人だけでいいじゃないか。前途有望な子供には、もっといろんな可能性を提供してやってよ!


教育熱心な母親としても、もっとポイントを絞って、教養主義的な教育に投資対象を絞った方が、たぶん子供の将来に良いよ? 「受験勉強」させていることで満足してるバカ親が多いと思うけれど、はっきり言って絞込み甘甘です。高い金払って「将来何に投資するかを先送りにする権利」を買ってるだけ。子供に将来の投資対象をもっと見せておやんなさいよ。


少なくとも、

親が自分の常識内でいくらがんばってもムリ。

公立の学校の無能な教師でもムリ。

両者が協力してもムリ。



この点だけは認識しておきたい。

日記:スーツ(笑) side | 22:24:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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永守シャチョウハイイヒトデスヨ?
2008年6.2号 - プレジデント

日本電産・永守重信社長が「効果3倍の伝達法」を初公開!

「人の気持ちをギュッと掴む」書き方指南!

▼なぜメールで口語体を使うのか?

▼なぜ社内報で例え話をするのか?

▼なぜ稟議書に必ず一筆加えるのか?

▼なぜ辞めた女子社員に手紙を書くのか? ……ほか

タダの効率主義や搾取で35年にわたって累積10万人を引っ張ることなんてできません。
この社長は「過保護」だと思うけれど、社員のことを考えていないとは到底思えない、
というような記事を書いたことがありますが。

今回はそっち側の面について。

正直、ちょっと胡散臭いというか、「それって社員が少ない時期の話じゃないの?」と思うような話ばかりでしたが、「永守社長は資本主義の悪の権化」みたいな考えだけで納得している人は、今週のプレジデントを読んで、こんな面もあるのか―ということも考えてみるとよいかと思います。


日記:スーツ(笑) side | 01:01:01 | Trackback(0) | Comments(0)
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ひきこもりを取り締まろうとする動きに反論
元ひきこもりの俺が通りますよ

現在はひきこもりではないが、心理的に同調する考え方の若者を「予備軍」とカウントする東京都
うわぁ・・・。

一人の経験者として言わせてもらうが、私はひきこもる直前まで「ひきこもりなんてクソ」だと思ってたよ。でも情けないことにそうなっちゃったんだよ。今回の統計で言う予備軍って言うことなら対象外だったはずの自分がそうなったんだよ。「予備軍」だからなるわけじゃないんだよ。この調査、明らかにひきこもりについて「勘違い」してるよ・・・。耐性や親和性のあるなしとかそういう問題じゃないんだよ。

大々的な調査を実施するならまず、ひきこもりというものについて、もっとよく理解をしてほしいんだ。「実態を把握するため」じゃなくて、なんの為に実態を把握して、そのあとどうするのかってある程度考えたうえで調査をしてほしいんだ。



いやまぁ、政府にも目的はあるんでしょう。政府お得意の数字の小手先捜査ですか。「その後の政策の効果」を掲げるために最初は多めの数字をでっち上げしておきたいだけなんでしょうね。

でも、その「取締り」的発想は危険だからやめていただきたい。統計取るのは構わないと思うんですが、最初から対象について偏見に満ちた状態でデータを収集してもあまりに意味をなさないと思うんだ。それどころか、下手したら「引きこもりを非国民扱い」する言動につながりかねない。これは内政や家庭などの問題であって、鎖国したって防げるものじゃないんだから、そういう「踏絵」とか「言葉狩り」とか「特高」をやってもしょうがないだろ?

「ひきこもり」にだって働いてもらいたいんだろ?そしたら「ひきこもり」を孤立させる動きじゃなくて、「ひきこもり」を外につなげるためになにができるか考えようよ。いつも通りの、「臭いものに落伍者のレッテルを張って外に追い出そう」っていう政策じゃ対処できない問題だよ?


日記:スーツ(笑) side | 21:21:00 | Trackback(0) | Comments(0)
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老人達に「生きがい ・ 誇り」を与えるビジネスはマダー?
老人たちには、「ゆかし」のようなクローズドなコミュニティよりも、
下の世代とつながれる「オープン」な、
いや、下の世代から教えや協力を乞われるような「リクエスティド」な環境があるといいと思った。


世の中を変えるのがビジネスであるならば、
そういう環境整備ビジネスはそろそろ出てくるべきだとおもう。

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日記:スーツ(笑) side | 13:23:27 | Trackback(0) | Comments(0)
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【dankogai vs 増田】 「仕事の法則」比較版 【FC2画質】
比較版を作るのはブロガーとニコ動にとってのたしなみ。というより、いつもなら比較版を載せるdanさんが載せていないあたり、「404」的には「増田版を見る必要はない」ということなのだろうけれど。

・・・FC2のせいかどうかわからんが、テーブルがきれいに割れないな〜。あとでFC2のルール調べて修正するかも。

増田 ダンコーガイ
「努力しているかどうか」「頑張っているかどうか」「やる気があるかどうか」は、全て上に立つ者の主観や匙加減で決まる。 「やる気」とは「いつまでに、どれだけやってくれるか」という期待値のことである
全ての評価は「何を言ったか」「何をやったか」ではなく「誰が言ったか」「誰がやったか」で決まる。 上司と思うな客だと思え
結果の出ない努力は全て「努力が足りない」または「努力の方向性が間違っている」で切り捨てられる。 結果の出ない努力からは、経験値を得ておけ
努力とは博打である。何年も続けないとその努力の方向性が正しかったかどうかはわからない。 努力とは、博打を打ち続ける力である。勝つまで続けられるか。勝ったら辞められるか、それが問題だ
「仕事ができる人」とは、器用で要領の良い奴か、自分の適性や才能に合った天職に巡り会えた幸運な奴のどちらかである。 「仕事ができる人」とは、他者が器用か要領がよいか才能があるか気にかけている閑があったら仕事をする者のことである。
誰しもが自分の適性や才能に合った職に就けるとは限らない。だが、全く合わない職に就いてしまうと悲惨な人生を送る事になる。

自分の適性や才能は、仕事をやりとげるごとに上がって行く

自分の適性や才能にあった職がなければ、作ってしまえ

不器用な奴が努力や訓練を重ねても器用になれるわけではない。 特定の仕事を何年も経験を積んでできるようにはなっても、新しい仕事をやらされればまた不器用レベルからやり直し。 君は箸を使えるか?鉛筆で字を書けるか?ならば充分器用だ。
努力の方向性が正しいかどうかは運や時流によって決まる 運と時流を読まぬ努力は、努力の名に値しない
仕事における行動が正しいかどうかは上役の主観や匙加減、もしくは運によって決まる。 仕事における行動が正しいを決めるまえに、まず「正しい」を定義しておくこと。
ダメな奴は何をやってもダメ。 ダメな奴は何を言ってもダメを出す
努力の過程が褒められるのは小学生だけ。社会に出たら結果の出ない努力は全て無意味である 褒められなきゃ努力しないで許されるのは小学生まで。社会に出たら努力はすべて君の責任である
昔話のウサギとカメのような事象は世の中には存在しない 昔話のウサギとカメのような事象はいくらでもあるが、目をこらさなければ見えない
カメがいくら頑張ってもウサギのようにはなれない カメにはカメの頑張り方が、ウサギにはウサギの頑張り方がある
一つの物事に夢中になると周囲が見えなくなる気質は、サラリーマンにとって最悪の致命傷である。 一つの物事に夢中になると周囲が見えなくのは、気質ではなく生理である。家庭から国家まで、社会はこのことを前提に設計しておく必要がある
「これが一流の社員と二流の社員の違いだ」といった記事は、ビジネス雑誌の定番である。しかし、二流の社員がその記事通りに一流の社員のやり方を真似ても、一流になれるわけではない。一流と二流以下では、仕事のやり方云々以前に人間としての基礎的スペックからして違うからである。 一流と二流の違いは、仕事の責任が一人称か二人称かの違いである。三流以下は当然三人称である。
「強い会社の作り方」のような本は巷に溢れているが、単なるネタ本として考えるべきである。たかだか千数百円の本で会社が助かるなら、倒産する企業など存在するはずがないのだから たかだか千数百円の本を惜しんで会社を潰す輩が後を立たない
仕事の能率を高める方法などのビジネス書や自己啓発書は、元々が器用で要領が良い奴が、同じように器用で要領が良い奴向けに書いたものである。 仕事の能率を高める方法などのビジネス書や自己啓発書が読めるかどうかは、自分が不器用で要領の悪い奴だと認められるかにかかっている
「石の上にも三年」という諺は会社では通用しない。三年も待ってくれるような気長な会社などないのだから。 「石の上にも三年」という諺は社会では通用しない。三年どころか三秒も待てないのが顧客というものである。三年かかる仕事をどうやって三秒で見せるか、それが腕の見せ所。
「見ている人は見ている」とは、真面目にコツコツ働いていればそれをわかってくれる人はいるという意味ではなく、不器用な奴や要領の悪い奴がずるい事をすると必ず見つかる、というのが真の意味である。 「見ている人は見ている」の人とは、顧客のことである。一流はそれを知っている。二流はそれを上司と勘違いする。三流はそもそも見られていることに気がつかない。


日記:スーツ(笑) side | 09:06:26 | Trackback(0) | Comments(0)
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ゆとり教育と「ゴランノスポンサー」
エイプリルフールに発表されるマジネタは、実はいつもよりすごい。
keyの新作発表しかり、この記事も然りである。

わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる: 学力低下の本当の原因
30〜40年前の話だけどな

1960-1980年代の教育論を読み漁ってみた。もし今の教育が失敗しているのなら、その原因は過去にあるはずだってね。

ところが、分かったことは、当時も今と変わり映えしないという事実

みんな「たいして変わらんだろ」くらいはうすうす思っていただろうけれど、
実際にDainさんが調べてところ、「恐ろしいくらい変わらない」というオチに。
私は冒頭の文章読んでいて、全然気付かなかったもの。

事実はマスコミの捏造より奇なり。
もうネタ作るより、マジメに過去ログあさった方が
面白いもの書けるけるんじゃないですか?>新聞局

とありきたりな感想がその時は浮かんだり浮かばなかったり。



「学力低下」の本当の原因は、「学力低下」にしたい人たちがどこにいるのかを探すことで、見えてくるんじゃぁないか

というわけで考えてみますか。
正直言って、昔の教育もいまと変わらない、ということが示されたインパクトで
「やっぱりいっしょじゃん」と結論づけて満足してしまいそうだけれど、
実際には、やはり「いまの方がひどい」のだと思う。
といっても、ひどいのは子供の教育ではなくて、大人の教育だけどね。

本当の「ゆとり」は子供たちではなく、大人側にあるんだ、と私は思う。
大人のわがままや、手抜きといった「ゆとり」を押し付けられて、子供や若者たちはますます追い込まれているのが、今の時代だと思う。
しかし、年金問題などは騒がれてるのに、教育問題だけは騒がれない。なぜだろう?
ここに「(子供たちの)学力ということにしておきたい」人たちの姿が見える。
つまり、「大人の教育」を望まない人たちがいるってことだよね。

その正体は何かというと、 「ゴランノスポンサー」
そして、マスコミは「ゴランノスポンサー」の飼い犬・・・。



「ずんずん調査」で分かった、80年代は『若者殺しの時代
・「1983年はどんな年だったか」と聞いてみよう。子供だったのか。若者だったのか。オトナだったのか。「時代の分岐点」にどんな生活を送っていたか

・おれは自由に生きている”といっても、それは「錯覚」だ。「本当は若者という分野が作り出され、欲望を刺激し、商品を並べ、金を巻き上げていくシステムが動き出しただけだった

■打たれ強くなるための読書術

・携帯元年は95年と断定してよかろう。私が大学生の質が感じた時期とほぼ一致している。

雑誌やテレビのように、誰かを悪者にしたり救世主にしたりしてくれた方が、楽だ。しかし、そんな反射的な反応では、あまりに主体性がなさすぎないだろうか

子どもたちは言葉を失い、他者を拒絶する〜『メディアに心を蝕まれる子どもたち』
テレビは、見ているだけで時間が過ぎていく。何も考えずとも、いろんな情報がストックされていく。便利で楽ちんなものだけに、どんどん人を受け身にさせていく。そこが怖い。

『平成人(フラット・アダルト)』
バブル崩壊後、大人や社会の側が抱えている「不安」にズブズブと呑み込まれるうちに、大人や社会と対峙する体温やカロリーを失っ〉た世代

■黒山もこもこ、抜けたら荒野
一時のトレンディドラマの隆盛は、まっとうに考えれば得られるはずのない暮らしぶりを、現実にあるかのごとく垂れ流しにしてきた。「異常」なものも百回、千回見せられれば「普通」に思えてしまう。そんな積み重ね、連続が「考えない若者」を欲求不満に陥れていく。もちろん「異常」を「普通」と化すことで、企業は消費を煽ってきたわけだ。

結局、「バカ」相手以外にモノをうる手段を持たない企業やテレビが、いつまでたってもバカな大人や若者を甘やかし続け、そのバカや子供が子供たちを頼まれてもいないのに企業に都合よく洗脳していくという構図がある。当事者以外はわかりきっていることだが、タチの悪いのは、彼らが今の時点では権力者を持っていることだろう。

今回はとりあえず話を企業の消費活動に絞ってみたが、実際には年功序列の弊害が出ている企業や、閉鎖的な家庭の中でも同じようなことが起きていると思っている。若者を搾取することで生き延びている日本という構図がよく見えてくる。・・・っていうか、今や私もその一員か。悲しいなぁ。

結論

『若者殺しの時代』
あなたが「若者」の場合、堀井氏の提案は簡潔。「逃げろ」
逃げるためにも、まずは「大人のお勉強」頑張ろう。逃げられないなら、若者で力を合わせて「大人」たちと闘いましょう。ってdankogaiが言ってたよ


日記:スーツ(笑) side | 18:37:38 | Trackback(0) | Comments(0)
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飲みニケーションによいも悪いもありません
酒が一滴も飲めなくても、気心知れた関係であったり、
共通の話題を持っていたりお互いを気遣える人同士なら、楽しめる。
大事なのは、何をするかよりも、誰と一緒にやるかだろ?





■「飲みニケーション」をしないヤツは仕事でも使い物にならない
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1108756.html

飲みにケーションに関する議論って、
同じ言葉でもイメージするものが違うから絶対に噛み合わないんだよね・・・。

ここで出ている「武蔵野」という会社は日本経営品質賞を取っているほど優秀な会社です。
こういうところ「飲みニケーション」は私がイメージしているものと全然違うのでしょう。

こういう議論するときは、まずお互いがイメージしている光景が
はたして同じものであるかどうかのすり合わせから始めるべきですね。

噛み合わないまま議論してても平気なのは、
多分お互いが聞く耳を持ってないからなんでしょう。
お互い、まず歩み寄りは大切だよ・・・。



飲みにケーションがうまくいかない場合、人はともかく職場は問題あり

私は、飲みにケーションができないだけでその人が半人前だとは思いませんが、

飲みニケーションを楽しくすることができない職場や上司では

従業員は十分に力を発揮できないだろう
、とは思います。


一部の人が、自分たちだけが楽しめるからといってその利益を独占し、楽しめていない人間を上から見下ろしたり、その人間たちを無視して勝手に盛り上がるなんて論外でしょう。
逆に、楽しめていない人も、なんとか楽しくしようと努力することも必要だと思うんです。

「全体として場が楽しくなるために、
 お互いが少しずつの譲り合いの精神、少しの自制、少しの約束事を持つ」


これは職場環境にも通じる話でしょう。

つまり、飲みにケーションがうまくいかない部署やら人の集まりってのは、もともと全然チームワークができてないってことです。それを「飲みにケーションやればうまくいく」なんて信じているのだとしたら、この言葉を送っておきます。

そんな都合のものありませんよ、ファンタジーやメルヘンじゃないんだから・・・

逆に、組織がうまくいってるかどうかのリトマス試験紙的な効果はあるかもしれませんね?



<飲みにケーションが最良?んなわけあるか>
まぁ「飲みにケーションが本音を聞き出す最良の方法だ」というのはまぁいいでしょう。
もし仮にそうだとしても、「他に本音を聞き出す方法がない」のだとしたら、それは無能ってことではないですか?

「ランチョンテクニック」という言葉もあって、食事をともにすることや酒を飲むことがお互いの心理的距離を縮める効果があることは昔から知られてます。ただ、それは「食事を楽しむ」「飲みを一緒に楽しむ」という体験をするからこそ後から付いてくるものであって、楽しめなかったら逆効果なんてことは誰にでもわかると思うのですがどうでしょう。

飲みにケーションはさらに「仕事を離れて」なんてことを言ってますが、「本音を聞き出そう」なんて目的があるんだったら、それはもろに業務延長してるじゃないですか。そんな見え見えの状態で飲みに誘って、相手が本音を語ってくれるとでも本気で思ってるのですか?
もしそうだとしたら、無能を通り越してバカだと思いますよ、失礼ですけど。

大事なのは、普段からコミュニケーションを取って、心理的距離を縮めておくこと。
仕事を離れて食事になったら、楽しんで会話できるくらいの素地を作り上げておくこと。
もっといえば、ある程度核心にせまる問いくらいは暖めておくものじゃないの?

地道なコミュニケーションとか、原因と結果のつながりを考えるとか、
「飲みにケーション」がうまく出来てない人は、いろいろ課題がありそうですね・・・。



<「お酒の楽しみ方」を教えてやれよ・・・>
大人が子供に上司が部下に
「酒の飲み方」の一つも教えてやれない会社ってのはつまらない
僕はそう思うんだ

どうも、最近の上司は準備段階で「手抜き」をして
「成果」だけは一丁前に請求するやつが多いな。

仕事だけじゃなくてこの「飲みにケーション」でも同じ。
ど素人が仕込みもなくて、楽しめるわけないだろ?
酒を飲めない奴を誘うなら、先輩として教えてやるのは義務だろうが。

それとも、お前は音楽やる時に
自分一人で気持ちよく弾ければいいってタイプのオナニー野郎ですか?
部活動では後輩の指導そっちのけで自分の練習ばっかりやって
いざ試合の段になってベンチ層の薄さを嘆くダメ先輩ですか?



まずはアルコールがおいしく感じられるくらい仕事させてやれよ。
飲み方やら注文の仕方を教えてやれよ。
いい店を教えてやれよ。蘊蓄だって必要だろ?
食事ってのは舌じゃなくて脳で味わうものなんだよ。


・・・まさかと思うが、社会人にもなって
大学生が使ってるような飲み放題の店に言ってるんじゃないだろうな?
そんなクソ上司につける薬はない。今すぐヒラからやり直せ。



とにかく、「飲みにケーション」について偉そうに語るなら、
まずやるべきことやってからにしてくれ。
自分が新人のころ楽しかったなら、その時先輩はどうやってたか思い出せ。

出来ないんだったら別の方法を考えろ。頭使え。

日記:スーツ(笑) side | 01:41:03 | Trackback(0) | Comments(0)
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「それをすてるなんてとんでもない」ものを持たない生き方が今では幸せなのかな
2008-03-24 - reponの日記
「センチネル」たちの仕事は『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な退化や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。


以前「仕事の誇り :不思議な少年と郵便配達屋の老人」という記事を書いたけれども、こういう「誰にでもやらない仕事を引き受ける生き方」は「センチネル」とか「文化的雪かき」というんだね。

私が上の記事で美しいと感じたのは、「センチネル」の生き方にも、美学というか、命をかけた誇りを持つことができる人の心なのかも。

もっとも、時代の変化のスピードが早い現状で、このセンチネルの生き方に専念することは、もはや誇りとしてではなく、怠惰としてみなされることも多いようなのが悲しいところ。
某所では、「失われた選択肢以上に、多くの選択肢が生み出されている」とは言うけれど、どうも生み出されている選択肢に今のところあまり魅力を感じられない私はやはり怠惰なんだろうか。魅力を感じられる選択肢を探す努力が足りないんだろうか。


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日記:スーツ(笑) side | 23:57:44 | Trackback(0) | Comments(0)
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