投稿日:2008-04-08 Tue
KOF98UMが、私をゲーセンに呼び戻す力がなかった件・・・ではなく。母とよい子のNintendoDS用ソフト「どきどき魔女神判2」の話。
なんかエロゲとかエロマンガより先に、
NintendoDSから取り締まりが入りそうな予感がガガガ。
■SNKプレイモア、DS「どきどき魔女神判 2」発売日決定! 初回限定スペシャルBOXの内容も公開
学校教育にDS使用を推奨されている先生方。
おたくのお子さんの一番のお気に入りがこれになる危険も考えてね〜
投稿日:2008-04-08 Tue
■「CLANNADは人生」を3Dで実現 ギャルゲーキャラと暮らす仮想空間、ドワンゴなど開発 「街にはキャラドルを引き連れたユーザーが集まる。ほかのユーザーとチャットも可能」
のキャプションがついてる5枚目の写真。
カオスにもほどがありすぎ!
なにその、ありのままに話すと
「俺の嫁」との夢の生活が始まったと思ったら、嫁が分身してるとか、
超スピードとか金太郎飴とかNTRとか、そんなちゃちなモノじゃない
もっと恐ろしいものの片鱗を味あわせるとか。
そんなホラーゲームは勘弁してほしいっす。
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投稿日:2008-04-08 Tue
「彼の殺人計画」についてもう一つ。この作品では、「殺人計画」という目的を遂行するために
平凡な人間から「幸せ」な人間に一気に駆け上がっていく部分が
実に印象的なのだが、
個人的にはその前の「ターゲットさがし」の部分が一番興味深い。
どうやったら「ターゲット」を探せるか。
どうやって「一人の人間として興味を持てる人間を見つけられるか」
そもそも、どうすれば「人を探す」ということ自体を目的意識として持つことが可能なのか。
というのも、私はこの「人探し」というものをあまりしない。
私は「出会いまでは運」という考え方を持っており、
縁があってであった人が興味深い人物ならもっと良く知りたいと思うが、
自分から積極的に「こういう人に出会いたい」という理想像を描いて人を探したことがない。
これはすなわち、私には「欲」がないということなのだろうか。
私には何か欠陥があるということなのだろうか・・・。
投稿日:2008-04-08 Tue
その人のことを良く知ると、殺す意思が鈍るなんていう人がいるけれど、俺は、人間を殺したい。一個の個人を殺したいんだ。
(殺す相手を)より人間として認識したい
だから、標的のことを良く知らなくちゃいけない。
この作品のテーマは
「自分にとって他人とは何か?他人にとって自分とは何か?」である。
そのキーとなるのは「名前」だ。
この作品は、主人公の独白という形で展開する。
大体こういう形式の話で出てくる主人公は自己顕示欲が強く
まず名乗りから始まるのが普通だと思っているが、
本作品の主人公は自分自身のことを平凡な人間であると思っており、
大して自分に興味を抱いていない。
だから、読者に対しても彼は名前を名乗らない。
彼は親の名も、妹の名も語らない。
話の途中で出来た彼女の名前さえも語らない。
(その彼女が必要もないのに友の名前をかたるのは対照的)
殺人計画を立てた後の彼にとって
「名前がある存在」は殺人のターゲットの「小園ミカナ」だけである。
他の人間は自分の考慮の対象外なのである。自分自身でさえも。
彼にとって、他人とは
「己の目的にかかわりがあるかないか」で存在価値が変動する、
その程度の軽い存在なのである。
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途中で、彼女が主人公を評価するシーンがある。
その評価は、自分自身の評価とは異なるものであるが、
彼はその評価ををいとも簡単に受け入れてしまう。
彼は「自分がどう思っていても、周りの人がそう思うなら、
きっと自分はそういう人間なんだろう」と答える。
他人の自分に対する評価が、
自分が思うものと違うなぁ、と思うだけである。
まるで、「本当の自分」なんてものは存在せず、
人の価値を決めるのは他人だ、自分ではない、と
達観しているようである。
彼にとって、己とは
相手の気分一つでコロコロ変わってしまう程度の
軽い存在でしかない。
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彼には己の欲望というか、エゴが存在しない。
エゴが存在しない彼は、他人も同様であると考える。
人の価値は、他人が決めるもの。
それゆえに、彼は殺人を抵抗なく行える。
他人の価値を自分が決めてよい。
さらに、その価値を奪うことも自分の責任も下に自由だと考える。
その行為が殺人であっても、ソレは特別なことではない。
一方で彼「他者の評価」を執拗なまでに気にする。
自分が幸せと感じることではなく、
自分が「他人から見て幸せである」と受け止められる
状態になることを追求する。
この2つが「彼のルール」だ。
物語は、その「彼のルール」に則って唐突に終わる。
ああそうか。
俺は不思議な充足感を味わっていた。
あとは 彼が語ってくれるだろう・・・
これは彼にとってのハッピーエンディングであろう。
主人公である高木ヤスヒロは
「彼」にとっては完璧に幸せな人間だったのだから。
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投稿日:2008-04-08 Tue
■感情を加工するということ - Mellow My Mind「自分を人質にすんな!」
内容については理屈こねこねになるのであまり関心を持たなかったのだけれど、この言葉にはグッときた。
ちょうど「ランドリオール」というマンガを読んでいて、この中に登場する竜胆というキャラが、「自分を人質にする」という表現がとてもしっくりくる性質だったこともあり、妙に心に響いたんだよね・・・。
この話はまた後日。
さて、上の記事で言及されていたのは言葉の問題ですね。
「感情」という言葉しか知らないと、自分の考えと、自然にわきあがってくるエネルギーみたいなものを区別することが難しい。混同してしまうことで「自分らしさ」を見失ってしまう人も多いかと思います。
上の文章では、「生の感情」と、「加工済みの感情」という表現をされていましたが、なかなか興味深いと思います。ただ、「感情」と「情動」という区別があるとより分かりやすいと思います。
■感情と情動の違い
生理学的には、感情には身体感覚に関連した無意識な感情と意識的な感情があるとされる。前者を(emotion, 日本語訳は情動)、後者をfeelingと言い分けることがある。
■感情は「認知ラベル」、情動とは違う
情動とよく間違われる感情は、身体反応や状況判断、予測など認知確認(大脳皮質・前頭前野など)の影響もうけて、比較的長時間作用する「認知ラベル」である。したがって、認知確認後の影響によってラベル評価された状態を示す
まぁここいらの定義はどうでもいいです。
要するに何が言いたいかというと、
自分でどうにかなるものと、どうにかならないものを区別して、
どうにかなりそうなものは、意識して自分に良い方向に働かせよう、という話です。
ネガティブな「感情」を持ってしまうことは誰にでもあります。
ただ、それは自分のその時の「認知のやり方」がたまたまそういうラベルつけをしただけで、
「そう感じなければならない」、とか「そう感じるのが自然だ」と決まっているわけじゃないのです。
これは、自分の意識の持ちようで変えられるものですから、
辛いことや腹立たしいことがあっても、自分にとって役立つラベルづけをするようにしましょう。
なんでもつらい「感情」に結び付けてしまう場合は、
「認知のやり方」が故障していると思って、ちょっと休んでみるとよいでしょう。
「認知療法」なんてものもありますよ。
さて、「感情」について、ある程度自分で制御できるようになる訓練は必要だと思います。
しかし、必要以上に必要以上に感情を制御しようとして、
逆に情動の領域まで何とか出来ると思い込んではいけません。
これは感情を抑圧・制御する理性にも関係する部分なのですが、
あんまりやりすぎると、理性が情動の元栓を閉めつけてしまい、感覚が鈍くなります。
明確な理由がないと行動ができなくなったり、
素直に感動することが出来なくなってしまうのです。
これはもったいないことだと思います。
結論としては、感情と情動というのは区別できるけれども、
基本的には自然に任せておき、辛いと感じるようなときに
その「感情」や「情動」の手綱を握れるようにしよう、くらいでしょうか。
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