投稿日:2008-05-20 Tue
自分でもイミフな記事ではありますが・・・。理想は、絵だけですべてが伝わること。
理想は、文章だけですべてが伝わること。
両方使って、はコラボレーションなのか、それともどちらかの練習の過程なのか・・・。
マンガスキーだからこそ思うことかもしれないけれど、
必要以上に言葉に頼った絵があまり好きでない。
(じゃあエロゲはどうなんだって話もあり、自分でも矛盾しているとは思うけれど)
特に、フィクションならともかく、
自分の主張を、自画像でない人物に語らせる形式の記事については
「マンガでやれ」と思ってしまう。
ブログでたまに見かける
絵だけで語ろうとせず、そこに「説明的メッセージ」を乗せる方式は、
ベンリゆえに技の熟練を妨げる気がする。
4コマ漫画家は、4コマだけで伝えきれるからプロ。
評論家は、文章だけで文章を論じられるからプロ。
真ん中は、今のところコウモリの域を出ない。そんな気がする。
将来的にはこの領域から何らかの「プロ」が生まれるのだろうか・・・。
ただ、この方式は物事を伝えるのにベンリであることは疑いようがない。
金は払いたくないが、素人がブログでやる分には大歓迎だ。
■徳弘正也のコラムで映画について
言葉に出ないメッセージが好きだ。
不器用なこだわりが好きだ。
そのくらい読み取れっていう声にならない叫びが好きだ。
みたいなことが書いてたなぁ・・・。
投稿日:2008-05-20 Tue
アーヴィング君、「自殺」っていうのはね。まずやり方を知らなければできんのだよ
from 「ブラッドハーレーの馬車」
困難な状況に立ち向かって人を助けた事がある人間がどれだけいる?
自らを危険に投じてまでも何かを成し遂げた人を身近で見たことは?
そういう「ドラマトゥルギー」は、ある時期までに体感しなければ、自分のものにはならない。
簡単に言うと、過度に危険を冒してまで人助けをする人というのは
善意以上に、幼少期のトラウマの代償行為だったりするんですよ。
それを勘違いしちゃいけないんだ。特に、治安やお客様の安全を考えるようなときは。
■痛いニュース(ノ∀`):「痴漢です!」と助け求めるも、乗客動かず…“鬼畜男、JR車内で女子学生に暴行・強制わいせつ”で
なぜ「電車男」がドラマになりえたのか、という話ですよ。
電車男は、そうそういあわせないからドラマになったんです。
勇気を出した電車男を助けてくれる、強い人がいたから事態が収集できたんです。
電車男が勇気を出して立ち向かった相手の危険性が低かったから「事件」にならなかったんです。
全て結果論なんですよ、こういうのは。
一般人は、そのままの状態ではこういう事態に他人を助けることはできない。
そうやって教育されてきたんです。「人助け」をないがしろにする国で育ってきたんです。
もちろん犯人は死ぬべきだということは言うまでもありませんが、
文句があるなら、文部科学省と鉄道会社に言うべきです。
助けなかった人に文句を言っても仕方ありません。「やり方を知らない」んだから。
私には「ボタン」を押すくらいしかできない でも、ボタンがあればそれを押すことだけはできる。
もうこの事故は私が知る限り3度目です。
一度目はまぁ「対処できなかった」ことについては仕方ない。
ただ、この時点で鉄道会社は「この事件は対処しなければ再発する」ということを十分に認識していなければいけなかった。
そして、周りの人は戸惑うばかりで助けられる人がいるとは限らないということも認識すべきだった。
二度目以降の事故は、人災です。
まぁこれだって結果論にすぎませんけどね。
さすがにもう「結果」が分かっているので、会社側で対処すべき問題ではないでしょうか?
銀行には強盗などが現れた時に警察通報するボタンがありますよね。
私には、「特殊な状況」に追い込まれた時に、その場で自律的に考えて行動することはムリです。ただそういうときの為のボタンを用意しておいてほしい。そういうボタンがあるんだってことを教えておいてほしい。
ちなみに、ほとんどの電車には緊急通報用のボタンは「あります」。
ただ、みんな使い方を知らないと思います。
この「知らないまま」にしている状態が許せない、と私は言っているのです
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