投稿日:2008-06-10 Tue
適応係数17@Garden 攻略対象削って、エロゲのストーリ充実するのか、おまえ。について、またまた「Half Moon Diary」様より補足いただきました。ありがとうございます!
Half Moon Diary | 攻略対象を削れば、エロゲのストーリーは「充実」する
>それを「見たくなきゃ見るな」とばっさり切り捨てるのは、ちょっと乱暴だなあ
・・・そう読まれてしまったのか、読者の意見を代弁されたのかはわかりませんが、いずれにせよ、タイトルとまぁ「飛ばせ」という部分が目立つように書いたのでこういう解釈をされるだろうな、とは思ってました。
私が言いたかったのは、キャラを増やすとか削るという理屈ではなく、ストーリ満足度という基準を持って語るべきだということです。あとコメントでも書きましたが、相手が極論だったので、私も極論で返すことでバランスをとろうとした意図があります。「バッサリ切り捨てた」と切り捨てられるのは少し残念。(そのためにわざわざ「Dies Irae」を冒頭に持ってきたのですが、よく考えたら、事情を知らない人には何のことやらわかりませんよね。解説ありがとうございます。)
さて、言い訳はこの程度にして。(読者がすべてです。書き手の意志は、補足以上には意味がありません。)一応、トラバされていなかったので、記事は私個人への返答ではなく、一般的な言論と解釈しておりますが、念のため回答させていただきます。
削れば充実するという案については、もちろん考えていました。
個人的には「エロ」に関しては賛成。ストーリに関しては必ずしも当てはまらない、というより積極的に反対です。「期待してはいけません」とあえて否定しておきます。元記事の方はストーリに本質を求めていらっしゃったようなので(笑)、その点については言及しませんでした。
詳細は説明しませんが、ストーリに関してキャラを削るか存続するかという話は、「リストラ」と「プロジェクトマネジメントの改善」のどちらが有効かという問いに類似しており、原理として一定の理があることは認めても、そう簡単に「リストラ」の実施を認めるつもりは全くありません。なぜなら、一度許すとキリがないからです。また、別記事に書く予定ですが、複数キャラは企業存続を考えた際、「ニーズのリサーチ」の面でも非常に重要であり、その点でも、減らすべきではないと考えています。
リソースを多くかければよいものができるという発想は、とくにエンターテインメントの世界では肯定されるべきではない。情報量や手間ヒマと、ストーリの良さに、相関関係はあっても因果関係はない。期待するならば、メーカの「甘え」を許さないために、ユーザが「少人数ゲーor開発期間が長いゲームには非常に高いハードルを要求することが肝要」。
結局のところ、大事なのはコンセプトの質。
これが私の持論。
キャラを削ればましなものができるという理論は、「夏休みを伸ばせば生徒の成績が上がる」と考えることくらい楽天的な発想であり、作業量で決まる立ち絵や背景とは違い、作品作りとはそういうものではないはずです。本当は分かってるのではないですか?実際そうやって、ユーザは色んな作品に過剰なリソース(度重なる延期)を許容し、その結果、逆に駄作が増えたことを。「家族計画」や「NG恋」など、短期間でも、いや短期間故にムダなく絞り込まれて良い出来になっている作品があることを。 社内がダメなときは、ユーザが観察者にならにゃいかんです。ホーソン。
ただ、これは一般論です。「おれつば」のようにクソのように長い時間をかけた作品が、「時間かけただけあってよい作品ができましたよ」と言ってくれるのを本当は心待ちにしています。
ホント頼みます。王雀孫!
投稿日:2008-06-10 Tue
いまこそ「編集王」読みなおそうまゆたんブログ:思うこと。
基本的に、会社の認識としては、「企業と作家は対等ではなく、企業の戦略に従ってください」ということでしょう。編集者はマーケティング部の人間、マンガ家は開発部よりの人間であり、小学館の場合、開発を軽んじ、マーケティングを重く見すぎているということです。
これは、マンガが「工業製品」や「コモディティ商品」であるならば、それほどおかしな話ではない。そして、マンガの「工業化」は「編集王」の時代からくりかえし描かれています。マーケティング主導で製品開発を効率化するのは道理です。開発部門であるマンガ家は、「特許報酬」を与えられるのだからそれでいいじゃないか、と。
ハッキリ言って、効率なんかより作品を生み出す人がすべてであるといってもよいのに、経営者に経営の知識がなく、マネジメントの最大の目的が「人材の育成」になく、「効率化」であると誤解したまま組織を作ると、必ずこうなってしまうのです。
というより、「ジャンプ」という「マンガ家育成のための専門システム」が出来上がっている雑誌以外、基本的に、マンガ家というのは、サラリーマンのような扱い、しかも編集者より下になっているというのが大問題なわけです。その結果、小学館の編集者は、完全にサラリーマン化し、さらに、一部の編集者は大企業で多くみられる「クソッタレ上司」と化しています。
しかし、この編集者の認識は明らかに問題があります。なぜなら・・・編集者とマンガ家のスキルセットやキャリアパスは重ならないからです。です。マンガ家は別に出世して編集者になるというわけではない。編集者はいざとなったらマンガ家の仕事ができるかというと、出来ない。編集者の1でマンガを作ったら、マンガの価値は0になる可能性もあるし、マンガ家の1でマンガを作ったら、面白いかもしれないけれど、売れない。1+1を1にすることですら至難の業。そのため、両者がお互いの足りないところを補ったり、よいところを伸ばしたり、そのために高い志を共有したり。そういう関係でなければいけないのではないでしょうか。
さらに突っ込むと、編集者とマンガ家の目的や責任が一致しないことも問題です。特に同人上がりのマンガ家は「目に見えている読者中心」思考が強い。責任の意識は読者の側に向きやすいでしょう。一方で編集者は第一に会社に対して責任を負う。読者に関する距離感の差は大きい。
私が勤めているサラリーマン組織では、「製販一体でお客様の方向を向いて仕事をしろ」などというキレイな言葉が叫ばれてしますが、実際には 「製」が見ているお客様と「販」が見ているお客様の見ている姿が一致せず、さらに両者の関係も対等なものになっていないため争いが絶えませんよ。。ウチの会社の場合は逆に「製」(マンガ家サイド)が強すぎるため、全然売れない製品を「販」(編集サイド)に無理やり押し付け、逆に編集者が虐げられてるわけです。
つまり
今の組織のままで、マンガというものに対する認識が今のままではダメなのですよ。自分の雑誌のコンセプト、つまり「どういう読者に向けた作品を作るのか」すら決めずに、マンガ家を優遇すれば済むとか、お互いに仲良くとか、そういう単純な話じゃないんですよ。
私のブログの200回〜300回目あたりをでは、自分なりに雑誌ごとのコンセプトについて考察をしている時期がありした。その時から、小学館から出ているマンガはコンセプトがよくわからないといっています。自分が読んでいる中にテーマを感じるのは「ビッグコミックオリジナル」だけです。特にヤングサンデーという雑誌には、本当に適当だと思う。
この雑誌はすばらしい作家、面白い作品がたくさんあると思います。しかしこの雑誌の部数が圧倒的に落ち込み、真っ先に休刊になったのは、仕方がないのかな、ともおもいます。マンガ家の単行本はほしくても、雑誌としての魅力が感じられないからです。
単行本を売りたいのか、雑誌を売りたいのか、まずそれを明確にしていない。
両方なら、余計に考えなきゃいけないのに、何も考えてないように見える。
巨人軍にアンチが多いのと似ています。大物作家をいくら抱えても、まとまりがないとチームとしての魅力に欠ける。巨人軍の場合は地域密着性や歴史という下支えがあるものの、マンガはその点で仮想のものですし、拠点が目に見える形で存在しないため、非常に弱いのです。(この問題は、編集王の10巻あたりから論じられています。「とLoveる」などのエロ問題についても論じられているのでぜひ読んでみてください。)
「○●キャロット5」のように、エロゲーでただキャラが多いだけでは全然嬉しくないのも同じ。全然テーマ性のないキャラがいくらたくさんいようとも、価値が積み重ならないんですよ。むしろ苦痛に感じる。リソースの問題じゃないんですよ。絞り込み程度で質が上がるなら「ガンガンウイング」が最強雑誌じゃないとおかしいだろ、と。私がリソースの問題も考えてないと思われたのは非常に癪なのでここでも書かせていただきますけれども。
「あの作者のマンガが載っているから」そんな理由で読者を呼べるのは今のところ「Hunter×Hunter」くらい。それにしたって、今はコンビニで立ち読みする人が多いのだから、それだけでは本は売れない。そのくらい分かっているはずなのですがね。最低でも4〜5人は常に読む作家がいなければ、雑誌をわざわざ買ったりしないのですよ。
まぁそういうわけで、今回の問題を、「作家と編集だけの問題だけ」で考えても決してうまくいかない。その点を強く主張しておきたい。その下に死にいたる病が潜んでいると思う。
完全に全体がサラリーマン化して標準品しか生み出せなくなる前に社内の意識改革をするか、それとも今のままずるずるいって、マンガ関係部門を外に切り離さざるを得ない状態になるか。とりあえず、危機感は持った方がいい。
こういうことを書くと、他人事だから偉そうなことを言うんだという説もありますが、「消費者は、時に社長よりも強い権力」であり、社長が無能な時は、消費者が介入する必要があると考えています。そして、もし小学館が新しい取り組みを私たち読者の為にしてくれたなら、その時は全力で応援するべきだとおもうのですよ。
【参考】
・たけくまメモ : マンガ界崩壊を止めるためには(1)
次のエントリが非常に楽しみ。
・不倒城: 漫画家さんと編集さんの関係について、ちょっと思ったこと。
続編希望。
・これって,編集主導型の漫画編集に対する批判なのか? - WebLab.ota
・・・。
投稿日:2008-06-10 Tue
1週間ぶりでしょうか。お久しぶりです。また更新がんばるよん。(1)マスコミの「何を悪者にしたストーリを描こう」に関する試行錯誤について
ネットの住民は、マスコミというものはジャーナリズムとは全く別の行動原理で動いており、「何かわかりやすいものにズームしようとする」ということはみな理解しており、マスコミが「何をメインに持ってくるか」に注目していたことと思う。
最初「アキハバラ」をまた槍玉に挙げようとするだろう、というネット住人たちの予測や、ウンザリしたような反応が速報版などで多く確認できる。事件そのものの痛ましさについて反応するものももちろんいるが、それ以上にその後に続く「マスコミの行動への辟易」が勝っているのは実に面白い。
しかし、今回秋葉原は被害者であり、いくら空気読めないとはいえ、今のところ秋葉原そのものについてとやかくいう言動は見られない。そこで悪者として取り上げられたのは、「ネットそのもの」であった。
今回の報道で注目したいのは、「加害者が、ネットで実況をした」という点を執拗に取り上げていることだ。この情報をただの情報として受け取ってはいけない。つまりマスコミは何を言おうとしているのかというと、、「ネットがこの犯罪者を生んだ」「犯罪者の妄想・動機はネットによってはぐくまれた」ということだ。
これは推測ではない。TVニュースではある事実が全く語られない。(新聞は取り上げているが強調しない)それは「書き込みを見た掲示板の住人が、万世橋警察署に5日の時点で通報しており、警察署にも対応の動きがあった」ということだ。
実際、今回の事件の収束の早さに異常さを感じた人がいなかっただろうか。未然に防ぐことこそ出来なかったものの、「これでも」トラックで突っ込み、サバイバルナイフ5本で武装した犯人が歩行者天国という人の密集した空間で凶行に及んだという状況を考えれば被害は少なかったと思われるのだ。おそらく多少の警戒態勢はあったのではないか。(※こういうことを書くと、いろいろ言われるかもしれないが、多少落ちついて読んで欲しいと思う。)
ところが、なぜかこの感覚的に「おや?」と思わされる部分について、TVでは全く報道していない。それは警察にとってというより、マスコミのシナリオにとって都合が悪かったからではないかと思う。「不都合な真実」は今後取り上げられるのだろうか、注目している。
(2)今後の展開
とはいえ、背景=ネットという実体のないもので済まそうとする動きは個人的には悪くないと思う。
危惧しているのは「一人も親しい人間がいなかった」という方向にシナリオが移行する可能性があること。つまり、「社会的なひきこもりや、おとなしいヤツが危険」という方向に発展する可能性だ。
職場での人間関係や、親子関係など「犯人の闇」という形で取り上げられると危険だ。
この事件は無意識下での「自分の隣の何を考えているのかわからない人間」への恐怖を喚起する効果がある。この状態でTVがこういう「大半は善良な人間」を名指しで危険認定しようものなら、こういった弱者への嫌がらせやいじめが横行するようになるだろう。(日本では虐殺にまでは到らないだろうが・・・)それだけは避けるべきだし、むしろ積極的にそういう流れを回避する方向に進めて欲しい。
話は以上だが、マスコミの報道に対してコレだけはいっておきたい。
(3)ネットは怖くないよ。
「ネット」が犯人の闇を助長するようなことは基本的にない。ここで言っているネットとは、マスコミがよくネットの闇と混同している2ちゃんねるのことであるが少なくとも、2ちゃんねるではそういうことはありえない、まずコレだけは言っておきたい。
大事なことなので2回言います。知識面での支援はあっても、感情的に悪人を鼓舞するようなことはまずない。(アングラサイトとかでなければ。)
ネットと現実に違いがあることは認めるにしても、ネットの方が金銭や暴力といった権力関係の差が持ち込まれないため、むしろ正論や、マナーに厳しく、こういう予告をするようなやつは相手にしないか、「通報しますた」という扱いになることが多い。一方的に排除はしないが、理解しつつ窘める人が大半だ。少なくとも、視聴率優先のマスコミよりは感情や理性を重視して、常識的な空間を作っていると思う。内部告発がネットから生まれるのも当然といえば当然である。
この記事のように、心の闇が垂れ流しになることもあるが、煽ったりせずに、抑制をかけたり、違う方向に誘導しようとしたりしている人が大半だ。
ネットは「ネット人」という別の人種が住んでるわけではありません。そこにいるのは普通の人たちなのです。その点はちゃんと理解していただきたいと思う。偏見を助長するような報道には反対。
(※ちなみにこの記事については、イジメ問題とは違うと思っています。ただ、苛められっこが犯人について共感を寄せているという事実には素直におどろきました。相当歪んでますね、社会が。)
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