投稿日:2008-07-10 Thu
最近プレイしたゲームに関する3つの不満点について。最近の作品にこの傾向がよく観測されるようになってきたので、ここで整理しておきます。
特に3番目の問題は深刻。「リトルバスターズ!」や「Fortune Arterial」でも感じた不満であり、
個人的にちょっと気になってることです。
エロ下業界からすればまったくもって「余計な御世話」ではありますが、
ご興味があればお読みください。
▽「ただの読み物」化
今に始まった話ではありませんが、最近は特にひどくなってきている気がします。
選択という、ADVが持つゲーム性を活かすことへの意欲が失われている。
シナリオライターにとって、小説デビューへの腰掛のような扱いにされている気さえします。
どんなゲームでもバッドエンドがなければいけないと言ってるわけじゃない。
ただ、ゲームによってはバッドエンドがあった方がよかったと思うことがある。
選択肢という武器を使いこなせるかどうかは結構重要だと思う。
ゲームによってはバッドエンドがないのがすごくMOTTAINAIと感じられることがあります。
シナリオに全力投球するというのはよくわかる。
しかし、選択の重みを感じさせるためにも必須な場合があるはず。
もっと「ゲームだからこそできる」部分は考えていってほしい。
▽シナリオ管理の甘さ
選択肢やシナリオの管理ができてないため、
毎回最初からスタートして、一から分岐しなおさなければいけない、とか厳しい。
ユーザフレンドリという面でみるとがかなり評価が低い。
シナリオが良ければそれでよしってのは甘えだと私は感じてしまう。
むしろ、せっかくシナリオがいいのにどうしてそんな勿体ない事するんですか?と問いたい。
▽「グランドルート」による個別ルートの圧迫
「リトルバスターズ!」や「Fortune Arterial」にもあった問題だけれど、最近この傾向が増えてきてないかな!?もう個別ルートってただのバッドエンドの代替になってないだろうか。
プレイヤーの中で真相がすべて解明され、とりうる限り最良のルートを選択されることにより最大幸福を実現する。それがグランドルート。「Air」からはじまり、「SNOW」が引き継ぎ、その後いろんな所が踏襲してきたパターンですね。
最近そういう構成で作品を作るメーカが増えてきました。それはそれで素晴らしいとおもいます。実際「Air」「CLANNAD」は名作だと思うし。ただし、よほどうまくやらないと、個別シナリオの自由度が極端に制限されるんですよ、これ。
本筋のシナリオや、作品全体のテーマや設定がすべて決まっている。その設定の枠内で、独自のテーマを考えなければいけない。このグランドデザインは、どんだけ意思疎通を心がけても、深い部分というのはそれを発案した人の中にしかない。そのため・・・
1:個別シナリオを別の人間に任せると「リトルバスターズ!」のようになってしまう。個別シナリオからグランドルートへスムーズに直結できない。
2:本筋の設定を要素還元的に分解して個別シナリオに配分する形では、「Fortune Arterial」のようになってしまう。個別ルートが本筋に従属する。添え物レベルになってしまう。
3:個別シナリオを重視しすぎると、「るいは智を呼ぶ」のようになってしまう。個別と本筋の間で設定に齟齬をきたす。明らかな違和感が生じる。むしろ個別シナリオに謎が残る結果になってしまう。
つまり、ものすごくバランスが難しいと思う。
・個別ルートの満足度の低下。
・メインヒロイン以外への感情移入が妨げられやすい。
・なにより、きっかり決まった作品には、想像を働かせる余地が少ない。
「Kanon」や「いつか、届く、あの空に」のような自分で読解する楽しみがなくなる。
などいろんな弊害があるんです。あんまりホイホイとはつかなわないでほしいなぁ、と思う。
それに挑戦するなら、それなりに意気込みをもって挑戦してほしい。
以上
【追記】
Half Moon Diaryさんよりいただいたトラバに返信を書きました〜
正直、自分のポリシーに反して、個別のゲーム評価とエロゲ一般論みたいなのをごっちゃにしてしまったので満足のいかない記事になってしまいましたが、見事なフォローありがとうございます。
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投稿日:2008-07-10 Thu
負け組と勝ち組の三つの違いこのエントリの趣旨を自分なりに解釈すると、
「だからお前は負け組なのだ〜!」というdisり・・・ではない。
むしろ、「どっちがいい?」「選べないなら代替案を示せ」と選択や決断を迫っているのだと思う。
これは私の勝手な推測ですが、ほとんどの人は
自分のことを負け組とも勝ち組とも思ってないと思うんですよ。
そういう言葉が出るときって、一時的に「すごく困った状況」になったときだけで。
「のど元過ぎればなんとやら」とは昔の人はうまいこと言ったもんだと思います。
「普通の人」ってまず絶対ふだんから自分というものを考えたりしない。
「勝ち組」は、自分が組のなかのどの位置にいるかどころか、そもそも組の中にいるかどうかすら気にしない。その代わり、昨日の自分と比べて、今日の自分がどれだけ成長したかはすごく気にしているし、寝る前には、いや夢の中でも明日の自分は今日の自分よりどうすればより自分らしくなるかを考えている
いんや、普段周りと自分を比較なんてしないよ。
善人気取りはニュートラルが美徳
「傍観者気取りの日和見が最高
勝てるときだけ介入」がスマート
そんな甘えが通るわけないのにね
そんな奴誰も信用しないのにね
自分を他人と比べてgdgd語ったりはしない。
「そんなことを考えなくても、生きていけるじゃん」と思いこもうとしている。
そう考えないと、「今の状態に安住していられない」から。
無意識では無視することなんかできやしないけど、それは必死で抑圧する。
そうやって努力して「普通の人」をやっている。(それに価値があるかはわからんけど)
絶望先生では
「普通」を意識しすぎて、それこそがその人を「普通」にしてしまうというというキャラも
「病人の一人」として扱っているけれど、大半はそんな人ばっかなんですよ。
代わりに、自分について考えることを強要したり周囲で論じられるのをわずらわしく感じる。「自分について考えてるやつがいる」というだけでけまらしく感じる。勝ち組と負け組を論じられるのは、仮想の世界だけ。その仮想の世界でさえ、プレイヤーとしての立場は「第三者」である。人は、いつだって選択を迫る「二者択一」の世界に組み込まれるのがいやなのだ。
だから、その時々で風見鶏のように意見が変わる。絶対に自分の立場を決めようとしない
だから、「自分とは何か」を真剣に考えているなら、それは勝ち組でも負け組でもいいと思う。あるいは別のものだっていい。大事なのは「何かしらの軸」はできるはず。風任せにはならなくなると思う。軸さえ決まれば、dankogai氏がいうような「三つの違い」なんてものに従わなくともいつか自分なりに答えは見つけ出せるはず・・・だと・・・思う・・・けど。
風見鶏の一人として言わせてほしい。
やっぱり怖いもんは怖いよ!
変化するには、Customer of Changeすなわち変化の受け皿が必要だ。
変化した結果食いぶちを失ってしぬだけなら、望みはなくても今にとどまるしかない。
最低でも今いる場所から別の場所に飛ぶためには、
姿は見えなくとも、向こう岸の存在が見えてなきゃいけない。
「勝ち組負け組」なんて話より、もっと向こう岸の姿を具体的に教えてほしい。
精神論はもういい、「リアルな環境」がほしい。私が言いたいのはそんだけ。
これも「知りたきゃ自分で動け」って言われるのはわかってるけどね。
ああ、こういう情報がないなら、こういう情報を提供するのを仕事にすればいのかな?
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