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風見鶏の憂鬱
負け組と勝ち組の三つの違い

このエントリの趣旨を自分なりに解釈すると、
「だからお前は負け組なのだ〜!」というdisり・・・ではない。

むしろ、「どっちがいい?」「選べないなら代替案を示せ」と選択や決断を迫っているのだと思う。




これは私の勝手な推測ですが、ほとんどの人は
自分のことを負け組とも勝ち組とも思ってないと思うんですよ。
そういう言葉が出るときって、一時的に「すごく困った状況」になったときだけで。
「のど元過ぎればなんとやら」とは昔の人はうまいこと言ったもんだと思います。
「普通の人」ってまず絶対ふだんから自分というものを考えたりしない。

「勝ち組」は、自分が組のなかのどの位置にいるかどころか、そもそも組の中にいるかどうかすら気にしない。その代わり、昨日の自分と比べて、今日の自分がどれだけ成長したかはすごく気にしているし、寝る前には、いや夢の中でも明日の自分は今日の自分よりどうすればより自分らしくなるかを考えている

いんや、普段周りと自分を比較なんてしないよ。
善人気取りはニュートラルが美徳
「傍観者気取りの日和見が最高
    勝てるときだけ介入」がスマート
そんな甘えが通るわけないのにね
そんな奴誰も信用しないのにね


自分を他人と比べてgdgd語ったりはしない。
そんなことを考えなくても、生きていけるじゃん」と思いこもうとしている。
そう考えないと、「今の状態に安住していられない」から。
無意識では無視することなんかできやしないけど、それは必死で抑圧する。
そうやって努力して「普通の人」をやっている。(それに価値があるかはわからんけど)

絶望先生では
「普通」を意識しすぎて、それこそがその人を「普通」にしてしまうというというキャラも
「病人の一人」として扱っているけれど、大半はそんな人ばっかなんですよ。

代わりに、自分について考えることを強要したり周囲で論じられるのをわずらわしく感じる。「自分について考えてるやつがいる」というだけでけまらしく感じる。勝ち組と負け組を論じられるのは、仮想の世界だけ。その仮想の世界でさえ、プレイヤーとしての立場は「第三者」である。人は、いつだって選択を迫る「二者択一」の世界に組み込まれるのがいやなのだ。

だから、その時々で風見鶏のように意見が変わる。絶対に自分の立場を決めようとしない



だから、「自分とは何か」を真剣に考えているなら、それは勝ち組でも負け組でもいいと思う。あるいは別のものだっていい。大事なのは「何かしらの軸」はできるはず。風任せにはならなくなると思う。軸さえ決まれば、dankogai氏がいうような「三つの違い」なんてものに従わなくともいつか自分なりに答えは見つけ出せるはず・・・だと・・・思う・・・けど。


風見鶏の一人として言わせてほしい。
やっぱり怖いもんは怖いよ!

変化するには、Customer of Changeすなわち変化の受け皿が必要だ。
変化した結果食いぶちを失ってしぬだけなら、望みはなくても今にとどまるしかない。

最低でも今いる場所から別の場所に飛ぶためには、
姿は見えなくとも、向こう岸の存在が見えてなきゃいけない。
「勝ち組負け組」なんて話より、もっと向こう岸の姿を具体的に教えてほしい。
精神論はもういい、「リアルな環境」がほしい。私が言いたいのはそんだけ。

これも「知りたきゃ自分で動け」って言われるのはわかってるけどね。
ああ、こういう情報がないなら、こういう情報を提供するのを仕事にすればいのかな?


<今日の没部分>
本当に問題なのは、こういうきっかけがあっても自分について考えようとしないことだと思う。
そうやって考えることから逃げ続け、「就職活動」や「転職活動」や「退職」の段になって、改めて「自分とは何?」と問われ、それでも考えることを拒否してしまった結果、「じゃあ私が君たちの道筋を決めてあげよう」と出てきた人たちに身をゆだねてしまったのが全体主義であり、社会主義だと思うというのは言いすぎですねそうですね。
日記:エロゲヲタside | 21:28:38 | Trackback(0) | Comments(0)
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