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かんなぎ騒動にみる「オタクと制作者の良好な関係」の崩壊
今回の記事は特に誤解が多そうだから、「好きに読んでくれ」といわずに先に注意しておく。

ネタにマジレスはマジ勘弁

記事タイトルに書いてあることは「かんなぎ」に始まったことではないのも十分了解してます。
ただ、わかりやすいネタとしていいかな、と思ったので。
チョイネタのつもりがまたえらく長文になってしまった。まとめる能力ないな〜。

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というわけで今回のネタ。

個人的には、今回のかんなぎ騒動というのは、「消費者の素人化によるマナーの問題」と「オタクコンテンツ供給者側の甘え」がマッチングした と考えると「面白い」とおもう。
「処女」の問題など小さなもので、もっと大きく考えた方が楽しい。


作品をやぶりすてたり、作者に直接嫌がらせをしたバカは「ディープなオタク」とか「処女信者」ではないと考えてみる。なぜなら、オタクの世界にどっぷりつかっている奴は、オタクのマナーというものも十分身についているはずだから、と考える。

となると、オタクから見た時、犯人たちは「部外者」である。あえて言えば「素人」である。「面白いことがあったとき」に、それに乗っかって祭りをすべき時と、そうでないと気があるが、今回の例は後者だ。「たかが部外者」がやったことであり、あくまでも「現象の一つ」であり、「異変の先ぶれ」にすぎない。その背景、異変を起こしているものの姿は見えていないことになる。「処女厨」だけでは祭りの対象としては資格が足りない。

しかし現実問題、お祭り騒ぎになった。ということは、かんなぎの作者は、「処女厨」にひっかったわけではなく、もっと大きな何かに引っかかってしまったと考えるべきだ。
ではそれが何かというと、作者自体に罪はないとしても、「作品を送り出すサイド」が、読者層の拡大に伴う平均レベルの低下に対応できていないことだと思うわけだ。


つまりこういうこと。

「かんなぎ」は欲にまみれて
常識を見失ったやつには敷居が高すぎた


そういうやつが、気軽にマンガを手に取ること自体がなんだかな、と思う。
オタクなら「あなた、覚悟してきている人ですよね・・・」と言いたい。
ブログ記事にネガコメ投げるのとはわけが違うというのに。


http://alsoku.blog47.fc2.com/blog-entry-345.html
・単に行けば同人誌買える程度にしか思ってない初心者多いみたい
お客様感覚で行ってスタッフサークルに迷惑かけるとかここ最近まで聞いたことなかったんだが

常識さえあれば別段敷居を高く感じる要素はない
 問題は欲に塗れて常識を見失った奴が最近鰻登り
だってことでな


客に素人が混じり出したのは、コミケに限らない。
今まで少数派として、掟を守りながら作者を応援し、両者の間に良い関係を築いていこうとしていたオタクではなく、「mixiで暴露するレベルのバカ」が増えてきているのだ。
あるいは、「恋空」など、ケータイ小説というものにわざわざちょっかいを出してmixiレビューを荒らすような人間があらわれているということだ。
オタと非オタの境界が弱まり、マナーを知らぬ、そしてそれを守ることの必要性を学ばない人間が紛れ込みやすくなっているのだ。
「このマンガがすごい!」問題では、「消費者の上限」について述べたが、
今度は「下層レベルの消費者」に考慮しなければならない状態が起きていたということだ。


オタクコンテンツの基本は、今まではこうだった。
こういう「共存共栄」の精神がなくては成り立たない業界だったからだ。

http://alsoku.blog47.fc2.com/blog-entry-345.html
自分を客だと思うな。
「本を作ってくれて、売ってくれてありがとう」という気持ちを常に忘れないでくれ…。


http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-1666.html
俺たちの歪んだ文化に付き合ってもらって、いつもありがとう
尊敬してるぜ


言わんでもわかると思うが、最近はそういう発想は消費者側にはあまりないと思う。
ところが、制作側には、この心がまだ強い。
というか、作者自身、この「古き良きオタ」上がりが多くて、その感覚強いと思う。
このあたり、体育会系の風習と似ていて、誰かが対応しないと致命的なズレが生じる。
学校教育において、まだに体罰問題でいまだになぁなぁなのは本当に苦笑ものだが、
それと似た感じのgdgd状態が起こってるんじゃいだろうか。
実際に今回こういうモンスターペアレントもどきの処女厨が出現したわけだし
明確な正解は出せないまでも、新しい関係性を問い直すタイミングだと思う。

(このたとえでわかるように、過激な処女厨は例外中の例外だが話それるからやめとく。)


それにも関らず、制作サイド、おもに編集はなんの対応もしなかった・・・ように見える。オタクを信頼していたと言えば聞こえはいいが、実際は今までの「よく訓練されたオタク」のイメージに甘えてしまった。ターゲットとしている読者のイメージを問い直すことなく、従来の方向性に甘えてしまった。

その甘えのせいで「部外者レベルの素人」が暴走したときに狼狽し、対応することができなかった。もともとかんなぎの作者は「Type−moon」の同人メインで出発しているのだから、「よく訓練されたオタク」向けに書いていることは承知の上だったはずなのに、「今回騒動を起こしたのは君の本来の読者じゃないから気にするな」といってやることができなかったのだ。その結果として、作者も、作品も、そして、普通に作品の続きを楽しみにしている大多数の読者を守ることができなかった。作品を描き切らせることができなかったのだ。




結局のところ、私が一番問題だと思っているのはこういう変化の時期に、一番作者に負担がかかる時期に、「作者を守れない古い体制」だ。作者や編集では、新しい可能性を模索しなければいけない時が来ているのだから、それをバックアップできる体制ができてないと行けないんではないかと思う。

作者が本当に病気になったかどうかは知らない。ただ、本当に病気なのだとしたら、私が編集者なら「病気が回復したら戻ってきます」「応援よろしくお願いします」くらいのことは言う。「フルーツバスケット」の作者が腱鞘炎で中期休載になったときはそういうメッセージがあったはずだ。だから、今回の件は病気であるかどうかにかかわらず、編集部の方で作者を切りに来ているか、別の雑誌に放逐したり、ほとぼりが覚めるのを待つという、日教組と同じような対応に見える。

こうなってしまうと、作者側として「人気が出ている限り連載が継続できる」という前提が崩れてしまう。となると、完結した作品を出すことと、大作を作ることの間にジレンマが生じることにならないだろうか。それは非常にもったいないことのように思える。

小学館問題など、作者と編集との関係は今年大いに問題になった。今回は特に「オタクコンテンツ」という、マンガの中でも、最も関係が安定しているはず(根拠はない)の領域でもやはり編集が頼りにならないことが明らかになった。そのことが本当に問題として大きいと思う。




また、今回の問題はコミケでも同様に当てはまる。何かあったときにコミケ運営側は、参加サークルを守れるのだろうか。脱税や、明確なトレースなどはともかく、どこまでコミケ運営を信頼していいのかがわからなくなったり、あるいは消費者側でマナーを守らない人間が増えて運営に負荷がかってしまうと、もともと不可能なレベルで何とか成り立ってきたコミケが崩壊してしまう恐れがある。そういう悲しいことが起きないように、何ができるかを考えるべきだと思う。


この関係が崩れた時、まずコミケが衰退し。
そのあと、オタクコンテンツも衰退する。それだけは確実。

買う側は「本を作ってくれてありがとう、売ってくれてありがとう。」
売る側は「本を手に取ってくれてありがとう、買ってくれてありがとう。」という気持ちを持てば
たいていのトラブルは避けられるんだよね。
ま、極限までテンション上がった状態でそうした気持ちを維持し続けるのは難しいけど、
心の片隅には置いておいてほしい














どーでもよすぎる余談 : 見えない敵と戦ってみる>

私はこういう「ネタ」について語る時、正しいか正しくないかとか、妥当性とかには興味が無い。
そういう意見なら、プロの人たちや他のオタの人が勝手に書いてくれるから。
私は他の人が考えなさそうなどうでもいい視点で考えてみたいだけだ。
そして、もしかしたら、そこに真実があるかもしれない、というだけだ。

結構ネタでいろいろ書いてきたが、そのうち
「曲芸商法」や「新條まゆ」の話についてニュースサイトで取り上げてもらったのは、
ある程度そこに真実があったということだと思う。
そういうチェックはだれか別の人がやってくれればいい、と思っている。

私は物事をよく知らないから「極論」は書けない。
アレは本当に頭のいい人か、真性のバカにだけ許された特権だと思っている。
でも、「こう考えてみると面白いのではないだろうか」ということなら書ける。
かんなぎ騒動なんて、どれだけ飾り立てようが、
「世界が嫌なら自分を変えろ。それが嫌なら、目と耳を塞いで口を噤んで孤独に暮らせ」
と言えば済むだけの話なのだ。その程度のつまらない話だ。
それが面白いかというと全く面白くない。その程度の話なのだ。
それを少しでも面白くしようとしたら、今回のような文章になった。

痛いニュースのように、たくさん反応を集めて面白く見せるのも性に合わない、だから理想は「ニュースの天才」のように一から「面白いニュース」を考えることだ。もちろんそこまでの才能はないので、話題のニュースに「ちょっとした空想」を混ぜるのが精いっぱいなのだけれども。





ブログにおいて、こういう「小話」とか「個人的な話・解釈」を書いた時に、とりあえずそれが受け入れられる自由がもっと欲しい。
でも、実際には異常なまでに「正しさ」にこだわる人が多くて息苦しく感じることがある。
「間違っている」と指摘する人だって、何が正しいかなんて言えるわけないのに、自分が正しいと信じて疑わない自意識過剰な人が多い。
もちろん、他人に意見するときは、多かれ少なかれ「自分の正しさ」を信じる必要はあると思うけれど、他人の意見を否定する権利はないと思うんだけれど。好き嫌いや、受け入れる受け入れないはあっても、その間に「正義」とか「常識」を介在させるとややこしいなぁ、と思う。 (でも去年の自分は、ここで批判しているようなことをよくやってたよなぁ。)



私はfc2blogとはてなでブログを書いてたけど、今ははてなお休み中。
はてなは、私のようなヌルオタが生きていくにはあまりにもまじめすぎるし、一流を求めすぎる。
あくまで私が勝手に感じている雰囲気の問題だけど。
村というより学術都市みたいなんだよね。真面目な話以外が敬遠されるというか。

はてブとかで「おまえはバカか」とか言われるのは全然構わないのだけれど、
「ちょっとおかしなことを書いてある」=「読む価値がない」と思われるのは悲しい。
そうなると、今から書こうとしていることなんかは間違いなく「じゃあいらないわ」になってしまうだろう。
向こうでは間違ったことが書きにくいし、余計な気を使う。
だからヌルオタ的な話は、読まれないことを前提にしてfc2blogで書くしかない

なんで読み手の人は、そんなにゆとりがないんだろう。
いったん「こいつが何を言ってるのか理解してみよう」と間をおくこともできないんだろうか。
その上で「こいつおかしなこと言ってるよハハハ」でいいじゃないか、と思うんだけれど。

いまだにこの記事に対する「コメント欄の粘着ぶり」が気持ち悪くてしょうがない。
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimysan/20429154.html

こういうの見るとネットって狭くて窮屈だと思う。
ネットってもっと広いもんじゃないのかよ〜!
嫌なものとは付き合わなくていいし、
逆に覚悟があればじっくり付き合っていける、ってのがネットのいいところじゃないのかよ〜。
日記:漫画ヲタside | 23:29:30 | Trackback(0) | Comments(0)
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