アクセスランキング
「それをすてるなんてとんでもない」ものを持たない生き方が今では幸せなのかな
2008-03-24 - reponの日記
「センチネル」たちの仕事は『ダンス・ダンス・ダンス』で「文化的雪かき」と呼ばれた仕事に似ている。誰もやりたがらないけれど誰かがやらないとあとで他の人たちが困るような仕事を、特別な退化や賞賛を期待せず、黙って引き受けること。そのような「雪かき仕事」を黙々と積み重ねているものの日常的な努力によって「超越的に邪悪なもの」の浸潤はかろうじて食い止められる。


以前「仕事の誇り :不思議な少年と郵便配達屋の老人」という記事を書いたけれども、こういう「誰にでもやらない仕事を引き受ける生き方」は「センチネル」とか「文化的雪かき」というんだね。

私が上の記事で美しいと感じたのは、「センチネル」の生き方にも、美学というか、命をかけた誇りを持つことができる人の心なのかも。

もっとも、時代の変化のスピードが早い現状で、このセンチネルの生き方に専念することは、もはや誇りとしてではなく、怠惰としてみなされることも多いようなのが悲しいところ。
某所では、「失われた選択肢以上に、多くの選択肢が生み出されている」とは言うけれど、どうも生み出されている選択肢に今のところあまり魅力を感じられない私はやはり怠惰なんだろうか。魅力を感じられる選択肢を探す努力が足りないんだろうか。





後段についても一言。

2008-03-24 - reponの日記
「超越的に邪悪なもの」に対してこれから僕が出来ることは3つ。
ささやかな「センチネル」の役目を果たす。
逃げ方を、ディフェンスの仕方を少しずつ学ぶ。
自分を取り巻く世界に存在する「超越的に邪悪なもの」が、まったく無根拠に存在し、偶然に出会ってしまうようなものであることを知る。

■Hunter×Hunter 第一巻
あらゆる残酷な想像に耐えておけ、現実は突然非情になるものだから

■コミックマスターJ
逃げるなら、後ろ向きに、全力で駆けろ

日本の偉い人は、こういうことをよく理解していらっしゃるようなのですが、何かが起こった時にノーブレス・オブリージュを発揮する気はさらさらなく、「身内のためだけの核シェルター」を作って、そこに籠ろうとしている気がしてなんかさびしい。(「賭博破戒録カイジ」)

非情な現実という名の核攻撃に対し、その防波堤に、想像力のない一般市民を使う。
そして、核の脅威が去った後は、無傷の資産を用いて、難民の為という建前で新しく富を創出する。しかし、その富は「奴隷の身分」を認めた底辺層にしかいきわたらない。自由意思や向上心を捨てた方が幸せだと感じることを強制される社会。

もっとも、金持ちや政治家がそう考えるのも無理はない。

民衆を守ろうとしても、民衆は自分達の税金がビタ一文でも上がろうものなら文句を言うほど将来の見通しが立たないのだから、政治家たちもあきれ果てているということかもしれません。

また、それだけ身近な人の命を守ることは高価になってるんでしょう。
逆に、他人の価値はとても低くなっている。
それならば、合理主義者の考える行動がそうなってもおかしくはない。

だから、これから先、金持ちや政治家に期待はできません。
もし逃げるなら、生き延びたいなら、頼れるのは自分だけ。
そのためには、いつでも逃げられる準備が必要です。



私は「捨てられないから逃げられない男」です。

いろいろ「それをすてるなんてとんでもない」ものが多すぎる。

でも、こういう「昔大事だったもの」「これから確実に失われていくもの」にこだわらず、頭を切り替えて別の価値あるものを探していこうという姿勢を持つことが、今の世の中幸せなんでしょう。

そうしなければ、「逃げる」こともできないンでしょう。

「捨てられない」ものが多すぎる私はたぶん逃げ遅れて死ぬんでしょうね。

まぁそれならそれで、いいけれども。
日記:スーツ(笑) side | 23:57:44 | Trackback(0) | Comments(0)
コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する