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教育の成果は「表情の良さ」ではかるべき : 「よい子の星」
「あんな痛々しいすなおちゃんは・・・見たくなかった・・・・」

「みんなと仲良くしたいだけ」の人間が、争ってしまうのはなぜか。
それは小学校一年生だからだ。

では小学校1年生とはなにか?
「0か1でしか判断する能力がない」人のことだ。


 ▽敵か味方か
 ▽好きか嫌いか
 ▽好きな男に好かれるか好かれないか。
 ▽勝ちか負けか。

何よりも
 ▽「良い子」か「悪い子」か。(体制側に属するか属さないか)

小学校1年生は、こういう0か1でしか判断できない。

もちろん、人間はそんな簡単に割り切れない。
この「0か1」思考だけでは、問題を解決することなんてできない。
要するに、「上手くいく方法を知らない、考えつくことさえできない」のだ。

このことは親も教師も教えることはできない。
子供たちとのぶつかり合いの中で学ぶしかない。

「0か1思考」だけでは物事がうまくいかないことを知り、
そこから他人を「良いか悪いか」といった単純な理屈ではないものだと理解し、
もっとその人たちをよく知っていこうとする。
そうやって、「人は複雑なものだ」と知らなければ、決してうまくいかない。


しかし「多様化」により教育や管理コストが上がるにつれて、
キャパシティの限界に陥った学校教師や会社の上司というものは、
逆に「画一的な判断基準」でコドモや若者を管理しようとした。


その結果、「良い子」が「悪い子」の上位に位置づけられ、誰もが「良い子」でいなければいけないという危機意識を植え付けられる。そして、「自分は悪くない、やましいところなんてない」という結論を導く論理をインストールし、自分より「悪い子」を生み出して、常に下に置き続けることで自身の安全を守る必要が出てくる。感情論による「権力ゲーム」に陥る。



この漫画のキーワードは「笑顔」である。
ほとんど全編を通して、みんなが「笑顔」なのだが、さわやかな笑顔がほとんどない。

人をいじめているが、そのことに無自覚なままの「無邪気な笑顔」。
己の憎悪やたくらみを隠そうとするための「作り笑顔」。
ただ仲間外れにされたくないから、という理由でみんなに合わせるための「愛想の笑顔」。

そして、子供たちは、その笑顔で現実の理不尽さに涙し、恐怖し、憤る。
それらの表情は、「一人の時」にしか見せられなくなっている。


小学校1年生の段階で、もうすでにこれだけ「笑顔」がゆがんでいる。
このまま歪みを矯正できないならば、将来の惨劇は避けられまい。

この作品の場合、「●●」というものを通して、
最終章では「無心の笑顔」が見られ、
その後もぎこちないながら「陰りのない笑顔」を取り戻そうとする光景が描かれるため
ホット出来るのだが、現実はどうであろうか。

会社組織や教育機関というものは、己の成果を
生徒の進学やトラブルの少なさではかるのではなく、
笑顔や目の輝きではかってほしいものだ。
それが、結局のところ長期的にはより大きい成果につながるはずだから。

教育機関が公的機関である唯一の理由は、
短期的な成果ではなく、長期的に国を豊かにする教育を実践するためである。
目先のトラブルから教師を守るためではない。
その点をもう一度確認してほしいものだ。

ちなみに、この作品は10年前のものである。
今言った事情が現在改善しているか、それともより悪くなっているか。
もう一度見直してみるとよいかもしれない。



「Seasons of Love」(RENT 主題歌)
http://ww5.tiki.ne.jp/~ko-yo-do/textfiles/rent.html

How do you measure
A year in the life?

How about love?
How about love?
How about love? Measure in love



★参考文献
 ・自己コントロールの檻
 ・マナー神経症の時代
 ・ホントは怖い「やさしさ」社会
 ・「いじめ」の社会構造



日記:漫画ヲタside | 23:17:35 | Trackback(0) | Comments(0)
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