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「壁の向こうの太陽」に向かって吼えろ :ホーリーランド
昔のドラマには、背景に太陽があった。夕日があった。
明確な未来がそこに見えた。

今のドラマで、太陽が映る事は少ない。
舞台は学校の中、職場の中。外に出るのは夜の街だけだ。
恋人同士の会話も、携帯電話を通して行われることが多い。
明るさを感じさせる「背景」が、現実をより「リアルっぽく」
描写するドラマの中から消えうせているのが今という時代である。


というわけで「夜の街」をテーマにしたマンガ、ホーリーランドから。

今週のテーマは「何故若者は殴りあいをするのか」である。
コレについて、(「語り」のウザさに定評がある)作者はこう推測している。


強くなりたい、今の自分を超えたい、という思いの一つの形ではないか、と。


ここからは、勝手な解釈だが、
そうでもしなければ、自分の前に立ちふさがる壁を
乗り越えることが出来ない人間がいるのだと思う。

なぐること、相手を屈服させることよりも、
殴られる可能性、そこから生じる痛み、苦しみへの恐怖を
克服することで、成長したいと願う人がいるのだと思う。

彼らは「フィードバック」の体感に飢えている。
身体感覚を重視する人達は、頭だけでは足りない、納得できない。
他人に、己の存在、己の成長を証明して欲しい、保証して欲しいのだ。

正直あまり理解できないが、そういうことはあってもおかしくないとは思う。



■大人になるとはどういうことか?

大人になる方法、いや、自分が大人になっている、成長していると
実感する方法はいろいろあると思う。

自身を物語の主人公に投影して擬似的な成長を求めるか、
若いときから社会に飛び込んで、乗り越える、とか。

しかし、それを他人に承認してもらえる機会が失われている。
「自他共に認める大人」になる機会が失われ、
そのためか、自分の周りに「大人」がいなくなっている。
自分の親も、教師も、人間のクズだったりすると、
行動範囲の狭い若者はそこで先が見えず立ち止まってしまう。


言い換えると、この世の中からの「試練」や「イニシエーション」といった
成長(を実感)する機会、大人になるための儀式を求める者は、
何らかの形で、自分の身体感覚を頼りに、模索せざるを得ないというわけだ。

それがどのような形であれ、自分自身で
成長を求めてあがく姿には、みっともなさと同じくらい格好よさを感じる。



■子供から「試練に耐える力」を奪う「よいこの社会」の弊害

この作品はこういう「成長への志」が
「夜の街」という、社会の表舞台から外れたところで
行われてしまっている点をこそ問題視している。


「良い子」の延長で、明確な区切りを持って大人になることなく
そのまま社会に出た大人は、こういう人間の姿が理解できない。

しかも、彼らは「何の根拠もなく、自分たちのことを大人だと思いこんでいる」から
自分たちの規範に、若者を従わせようとする。
そうやって、「よいこの価値観」で子供達を押さえつけると、
その価値観に合わない人間は、社会から脱落せざるを得ないのだ。


数日前の「よいこの星」という作品の感想で書いたが、
「よいこの価値観」は基本的に幼稚な二元論である。
自分たちが嫌いなものを悪としてバッサリ切り捨てる乱暴な論である。
衝突やいじめというのは、この「幼稚さ」から生まれるのだ。

特に、自己抑制を知らない子供達は、
その意義も理解せずによりえげつない形で「いじめ」を実行しかねない。

「幼児」であるうちは良い。
いじめであっても、深刻な結果になる危険性は低い。
「大人から見れば」じゃれあいで済むレベルである。
しかし、力が付いてくるとしゃれにならない結果を引き起こしかねない。

故に、小学校高学年までにこの「幼稚ゆえの残酷さ」から子供を成長させるのが
教育というものの第一番目の目的であり、大人の義務である。
大人は世の中はもっと複雑なものであると教える必要があるのだ。

しかし、今は大人がこの「よいこ」のまま止まっている。
TVだけ見て育った「よいこ」がそのまま子供を教育する。
「教師にゆとりのない教育」の結果、効率重視の二元論の元
「よいこ」が権力を持ってしまう教育現場が生まれる。
こうして「取り返しの付かない」イジメは発生する。
生き延びた子供は夜の街に放出されることになる。

それを描いたのが「夜回り先生」であり「ホーリーランド」なのだ。


■暴力は死ぬほど嫌いだ。
 しかし「子供の暴力」にまで蓋をするのではなく、
 子供を成長させるくらいの器量は社会に欲しい

結論は、大人は「自分がなぜ大人であるか」をしっかり考えて
その責任を果すべきだ、ということである。
ソレができないなら、大人の権力を放棄し、幼児からやり直すべきだ。

社会がモロいのは、大人が社会を支える力がないからだ。
大人が子供を教育する力がないからだ。

これはいじめに限った話しではない。
「金融教育」についても、「語学力」についても「グローバル感覚」でも同じ。
全部今の大人は「よいこ」止まり。若者以下なんてザラだ。

大人は空虚なプライドなんて捨てて、
今一度「大人」になることを目指し、子供に誇れる社会を築き上げるべきだ。
もう一度、太陽が映るドラマを作り上げるべきなのだ。

日記:漫画ヲタside | 12:33:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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