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「どうしてそういう教え方をするの?」「ボーヤだからさ・・・」←結論
小学校の先生に教わった、人間関係のシンプルなルール - Attribute=51

文章を読めば、記事を書いているguri_2さん本人はちゃんと分かっておられることは読み取れます。
ただ、例の如く「特定の部分にズームしすぎる文章」のせいで、間違って解釈されている方が多いようなので、こちらで補足しておきます。



上の記事で挙げられているシンプルなルールを単純化すると

(1)自分がされて嫌なことは他人にしない
(2)自分がされて嬉しいことをする

ちがうよ、全然違うよ?
本質的ゆえにシンプルであることと、大事なことが抜けているのは全く違うよ?
このレベルで止まってていいのは小学生までだよねー、ってやつだよ?


(1)善意の押しつけをどう防ぐか
「この理屈だけでは、教育ママとかモンスターペアレントみたいな人間ができる」
これに異論がある方はいらっしゃいますか?


当然そうなりますよね。
なぜなら理由は簡単で、「完全に自分Oriented」だから。
判断基準に自分しかいないからですよ。他人がいない。
そして、これに権力差という問題がくっつけば、簡単に「善意の押し付け」が発生します。


(2)大人から子供へのコミュニケーションの際に生じる「空白」について

なんで小学校の先生がこういう教え方をするかというと、
子供はまだ他人を理解できない。つまり「自分」だって理解できてないんですよ。
本当の意味で他人を受け入れられるようになるのは一般的に10歳くらいからだったと記憶している。

それまでは、まず「子供に理解できるルール」を教えてそれを順守させ、
それだけでは対処できない問題は教師がカバーする。
その問題を通して、子供たちに「他人を意識する」ことを学んでもらうわけ。

(そういう意味で、例えば「はなまる幼稚園」で描かれる姿というのは、あれ偽物で、
 あの子供たちは、想定読者とする20代の「大きな子供」なんですよね。
 幼稚園児でも、大人が真剣に向き合えばちゃんと学習出来るってことかもしれないけど)


(3)「空白を埋める過程」はどこで生じるか

小学生も高学年になると、他者を認識し始める。
他者を認識することで、ようやく「自分」を認識できる。
そうすることで、今度は「思いやり」という概念が生まれます。
他人を想定し、他者への「想像力」が発揮されます。
先ほどの「自分が嫌なこと」を他者に拡張して考えることもできる。


ただ、これで終わっちゃだめ。
次があるんですよ。


他人を観察して、他人を基準に行動できるようになる必要があります。
他人とコミュニケーションをとって、相手の意思を確認してから行動するということ。
さらにいえば、「集団におけるルール」を理解して、全体を理解するというプロセス。

コレがないと、他人に対する想像力を持って行動しても、
それはあくまで想像に基づいていて、実態と乖離してしまう。
そのギャップを、埋めるプロセスを、他の誰でもなく自分ができるようにする。
次第に、相手が喜ぶことをできるようになっていく、と。


中学になり、高校になり、だんだん人とのつながりが広がって行って、
他人が求めるもののレベルも上がっていきます。
社会人にもなると、圧倒的に世界が広がり、
「見えないルール」なんかも出てきて大変ですが、基本はすべて一緒です。

シンプルなルールという意味で言えば、

人間関係は「他者Oriented」
だと思うけどなぁ。自分を中心とした考え方はあんまりうまくないと思うよ?


・・・とまぁ、書いてみたら自分も全然整理できているわけではないことがわかった。ごちゃごちゃしていて読みにくく、つながりが変なところがあったり、説明できない空白があり。ダメダメだな。いずれまた整理して書きたいとおもいます。




[蛇足 :教育論について]

最終的に教師が関与しなくても、そういった気配りができるようになる。
教師が不要な人間になるのが、教育というものの理想。
(正確には、常にロールモデルとして心にあれば、直接みていなくても大丈夫な状態になること)
教師は、子供たちの成長の土台になり、心の礎になるのが仕事。


その「そうそう誰にでも出来るわけではない」仕事をしているから尊敬される。
国が資格を与えただけで尊敬されるわけじゃないのはまさに聖職者と同じ。
学級が崩壊してるんじゃない。教師のレベルが、教育に対する考え方が崩壊してるだけ。
だからむずかしいんじゃないか〜。

教師が悪い、親が悪いとかそういうレベルの話じゃねーだろ常識的に考えて。
観念論は大好きですが、プロセス重視してほしいなぁ、と。
何かの残骸 | 12:52:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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