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「SwanSong」についてのネタだし中(1)
SWAN SONGを理解するためには、「らくえん」「12Riven」「ひまわり」の3作品は必修科目!特に、2NDENDは「ひまわり」をプレイしていないとほとんど理解できないぞ!

この作品は、各論部分のほうが100倍大事なのですが、まずは総論を抑えておきます。
各論は気が向いたら書きますね。



「SWAN SONG」は、群像劇

瀬戸口節は変わらないまでも、「CARNIVAL」や「キラ☆キラ」と「SWAN SONG」でテキスト筆致がまったく違う点はちゃんと認識する必要があります。

これ超重要です。
このメッセージは言葉だけじゃなくて、ちゃんと

・群像劇の「ゴール・目的」は「社会の存続」「生き延びること」である。
・尼子司は大勢の中の一人にすぎない。


ということを、理解する必要がある。
尼子司の視点に引っ張られすぎると、この作品を理解しにくいかもしれません。





■物語の構造と3つのルート

大まかな展開を説明すると、前半で「社会」というものが3つのステップを踏んで崩壊する様を描いた後で、それにとってかわる新しい社会のありかたについて3つのルートを提示しています。


3つのルートとは「あろえ」ルート、「鍬形」ルート、「来訪者」ルートのことです。

(1)「あろえ」ルートは、「らくえん」と似ており、外界から閉じこもることで、新しい価値を生み出し、外と交流することで生きていくという可能性でした。しかし、この作品では「生産」という絶対条件が欠けているため、この可能性はそもそも正当性を持っておらず、そもそも成立させることができませんでした。

(2)「鍬形」ルートは、「12Riven」とよく似ています。いわゆる全体主義思想による支配ですね。この作品では、まず資本主義による社会秩序が崩壊します。これにより大人から正当性を剥奪された後、田能村が共産主義体制で組織を維持しようとします。しかし土地の中で分配する利益を生み出すことができないことから侵略戦争につながります。(実際のところ、作品中で信徒側のみが生産能力を持っていたという事実は非常に重要なのですが、あまり論じられていません。)

このルートは、残酷ながらも人々が生き延びる可能性はありました。尼子司が途中で死んでおり、戦争行為によって信徒側の生産能力が失われていなければ、ですが。ただしそういう「ありえたはずのルート」について、この作品ではその存在を許していないのです。


■第一、第二のルートを共通で葬り去るという乱暴な手法

この作品で瀬戸口氏は「あろえ」ルートと「鍬形」ルートを、明確に否定しています。デウス・エクス・マキナを利用し、同時に葬り去ってしまいます。(あまりにあっけないので、読む人によってはひばりによって示された「あろえ」ルートの存在そのものが認識できないかもしれません)また、この作品では「自殺者」が描写されません。笑うサラリーマンや、隠遁者のような存在はいても、積極的な自殺を描かない。「4つの自殺」のうちどれも発生しない。作品中では自殺の存在すら許さないのです。殺し合いの後、全滅するという、もっとも悲惨な現実しか描写しない。
とにかく作者はとことんまでに1または2のルートで人々が生き残ることに嫌悪感を示しています。

その代わりに「人というものの可能性」について強烈すぎるメッセージをエンディングで残しています。「人は恐怖に負けず、隣人と手を取り合うことが必要である」「人は何かを創造する限りどんな苦境にも負けることはない」「人が己の分野で最大限の創造性を発揮するなら不可能はない」などなど、人によっていろんな読み取り方はあると思いますが「永遠に失われたもの」を描くことによって、「人にとってもっとも大事なものは何か」を強烈に読者にインプットします。

この圧倒的なエネルギーゆえに、プレイヤーはそれまでの不快な展開で胸のうちに育っていた暗い感情が浄化あるいは反転するカタルシスを味わいます。人の可能性というものに期待を持てるようになります。ほかのルートを探そうという気力につながるのです。
(この乱暴な手法は強力ですが、背景を理解していないと納得できないかもしれません。そのためにも、第一次世界大戦後〜第二次世界大戦終了後のヨーロッパの歴史を理解しておくとよいかもしれません。気が向いたら説明します。)




(3)「来訪者ルート」。正直最近までこのルートが理解できていなかったのですが、「ひまわり」という作品をプレイすることで少しだけわかったかもしれません。絶望の中で緩慢な滅びをまつという状態であった社会が未来を見出すルートです。いうなれば「来訪者」は、大河内コンツェルンによる宇宙開発の成果のことです。人の創造性が生み出した「未来に続く、くもの糸」のことです。


■2NDENDがあっさりしすぎている理由

(物語全体としては)このルートの「存在」をほのめかすことだけが目的だったからです。必要以上の詳細を描くつもりはなかったと思われます。(代わりにあることを描写していますが、それは各論に属するのでここでは説明しません。)

おかげで非常にご都合主義的に展開します。
具体的な肉付けはプレイヤー自らが行うべきだ、という作者の挑戦の姿勢の表れでもあるし、またこの作品が何のメタファーであるかを考えると、作者が誠実であればあるほど、うかつなことが書けなかったという理由も想像ができます。

あえて言うと、「くもの糸」の正体は明示されていませんが、「変化に向かうための障害」については描かれています。すなわち、誰もが協力し合うことの大切さを理解していたのに、どうして結局争いあって絶滅の道を歩んでしまったかという理由です。これは2点提示されています。

・自らの行いを規定する正当なる権威の不在(むしろ鍬形という悪魔的なカリスマの存在)
・代替手段が見つからなかったため(同じ絶望でも、少しでも希望が持てる道にすがってしまう)

ゆえに、人は今までどおりの行き方を貫かざるを得なかった。
この2つの障害を取り除くのも本当は難しいですが、かなり単純化して描かれています。このあたりについて、自分の身の回りの環境や、歴史、日本の現状を考えながら読むと、印象変わってくると思いますよ。

・・・すみません。はっきりいって意味不明というか電波にすら感じるであろう文章であることは重々理解してます。どうにかして伝わるように構成しようとしてますが、まだネタダシの段階なので勘弁してください。どうしようもなかったら、Twitterでつぶやくだけにとどめることにします。

日記:エロゲヲタside | 23:59:34 | Trackback(0) | Comments(0)
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