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「週間ジャンプ」が「少年ジャンプ」になった日
残念だが、もはやこれを認めないわけにはいくまい。なぜなら、

ジャンプでは、今後もお気に入りのマンガが、そのお気に入りの理由故に打ち切られることを避けられないからだ。

目が覚めてみると、いつまでもジャンプにしがみついて、「先」に進もうとしなかったことこそが問題であるように思えてきた。(別に「ガロ」みたいなマニアック方面まで行くべきとは思わないけれど。)

もうジャンプは、国民のマンガ雑誌ではない。あくまで少年マンガ誌なのだ

会社の労害社員のように、「昔はよかった」「これだから最近のジャンプは・・・」なんてみっともない口出しするのはやめにして、いっそその手を潔く放すことで「少年誌として面白いマンガ」が今後も増えるように、「今の少年が読むべき面白いマンガ雑誌」となるよう応援してやるべきだ。

労害の象徴「とLoveる」はよそでやry・・・




「エム×ゼロ」が好きだった。
ジャンプの中で「H×H」とこれしか読んでないくらいに。
(ONE PIECEはシリーズ完結ごとに単行本で一気読みするのがオツ。)

個人的にはなぜ打ち切られたのか全然分からなかった。どうやらこういうことらしい。

エムゼロ打ち切りについて。(エム×ゼロ最終話感想?) - colorless無色の日記

個人的にはブラックプレート取得編の方がおもしろくなかった感じも。
ただただ崖登りをするってのもなぁ・・・
もちろんブラックプレート取得後に期待していたんですが・・・ね


私は、その「ただの崖登り」における戦略の取捨選択やペース配分こそがすごく面白いと思っていた。
最もシンプルであるが故に力技が聞かず、限られたリソースと工夫が必要であるというのは、まさにエムゼロの本質であると思っていた。

「ゴールドプレートをとる」っていう目的が曖昧すぎたことはないかなぁ、と。
で、しかも、ゴールドプレートに至る手段も「日常生活を頑張ってポイントを増やす」
みたいな感じでちょっと微妙。
ゴールドプレートを取りたい理由も「柊のために願いを叶える」とのことで、いうほど読者(特にアンケートを出す低年齢層)に訴えかけるもの、があったか

私は、その「個人的な理由」と「地味なレベルアップ」にこそ共感した。
その「個人的な理由」が、学園全体にかかわる大きな動きと結び付いた時のことを想像して胸を躍らせていた。


だが、それこそが打ち切りの理由だったのだ。

自分が面白いと思う点とメインとなる読者層の嗜好に本質的な部分でずれが生じている。
この現実が持つ意味は大きい。


タイトルにも書いたが、今後またお気に入りのマンガが出たとしても、
その「お気に入りの理由」故に打ち切りになる。
ある作品が面白くなってきたと思ったら、それが打ち切りの原因になる。

この前期待の新作として紹介した「ダブルアーツ」は着々と私の期待を裏切る方向へ話が進んでいるが、多分私が期待している方向に進んだら打ち切りになるから仕方ないのだろう。

「銀魂」は序盤の方が面白いと思っていたのに、つまらなくなったと思ったら人気が出てきたしね。

「べしゃり暮らし」はヤングジャンプ行っちゃったしね。

つまりそういうことなんだと思う。

私が気付くのが遅かっただけだ。

もう私は、ジャンプから大作が登場することを期待できても、

「中堅どころ」に面白みを期待することはできない。


この事実は厳粛に受け止めるべきだろう。
「H×H」も「エムゼロ」もないジャンプは読む価値がないってそれだけの話なんだけど、「今後読みなおす可能性も低い」ということは間違いない。

さよなら、ジャンプ。

これからはSQでよろしく。
「LUCK STEALER」が、いい感じで「かずはじめ先生、全然変わってないなぁ」とノスタルジーを感じられて面白くなってきたことだし。

日記:漫画ヲタside | 05:53:20 | Trackback(1) | Comments(0)
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日本人の「宗教」 日本人の「神」
自分の中に「何か」を強く信じる心があるか?
自分を支える支柱があるか?

神とは、宗教とは、そういう話なんだと思う

また、「会社」とか「学歴神話」とか「TV」とか「愛読している雑誌」とか「スピリチュアル」や「占いババァ」強調文、その他「理想主義・観念主義」なんかを神格化して、それに頼り切っていた人が狼狽している様を見ると、情けない。

日本の宗教のを見ると、宗教というのは、本来「信じるもの」と「信じられるもの」の相互的な関係であり、「信じられるもの」側に絶対性がなかったり、「信じる者」側にそれに殉じる覚悟があってこそ成り立つものだな、と強く感じられる

今この時期の日本には本当に宗教がない。それが怖い。




痛いニュース(ノ∀`):「ジョジョの奇妙な冒険」、中東で「日本が侮辱」「テレビ局爆破しろ」と批判殺到→集英社、原作の第3部など出荷停止

別に宗教に限った話でなく、個人の中で「神聖化」されたものについては、無知な人間によって汚されることを望まない。「神」という概念にはそういう排他的なところトいうのは必ずある。


そして、「日本人」として理解しにくいが、大抵の国の人には明確な「宗教」がある。むしろ国はそういうもので精神的に統治されているのが自然だ。その部分にさえ敬意を払っていれば最低限分かり合えるわけだから、それがコミュニケーションの基盤になるわけだから。外国人からしたら、日本人ってのは、統一的な宗教がないから、何を基軸にコミュニケーションしたらいいか困るんだろうなー。


ちなみにキリスト教やイスラム教では、人は全知全能の神の恩寵によって信仰心を与えられているという理屈らしい。だから「無宗教」=「神に見放された人」という感覚だとか

その代りに日本人は、いろんなものに「神」を見出す自由があるわけで。自由があるから相手の「神」に対しての想像力を及ぼせる幅も広いわけで。本来はいいことなんですよね。アイデンティティの根拠を、自分が自由に選んでいい。

ただ、精神的に未熟だと、すげー狭いクラスタ同志で、それぞれ「私の神にイチャモンつけるな」っていうコミュニケーションの断絶が起こる。存在基盤がそれしかないもんだから、ちょっとでも傷つけられると自分が傷ついたように思われる。「これの良さが分からないなんて人間として終わってる」だのなんだのと、試練に耐えもしないのに選民思想を気取るバカというのが多い。

おいおい、お前の神はそんなにひ弱なのか?

絶対神とは言わないまでも、「心の中の神様」が弱いやつとか、他人に言われて何となく流行のものを神としてたてまつってるやつらとは会話したくないなー。「自分探し」なんてまさに「自分の中の神」を探してさまよってるやつらだけど、ひ弱な神しかいだけないなら、ちょっとしたことですぐ死んでしまう。「自分にやさしい」とか「居心地がよい」という点じゃなく「何物にも屈しない強い神」を求めろよ、と。



・・・ごめん、何かうまくまとまらなかった。

よーするに、アイデンティティの話。

他人のアイデンティティの基盤になっているものは安易に汚すな

また、

自分のアイデンティティの基盤となる「自分の神様」のことはもっと信じろ、ちょっとけなされたくらいで傷つくような「ひ弱な神」を心に持っていたら、今の世の中生きていけないぜ?



「イリヤッド」において持つべき神もいないのに、秩序を保って生きていられる日本人は、ある意味もっとも恐ろしい国民だ、という人がいました。「神に見放された国」において、新たな神を見出す強さを発揮したいものです。

『イリヤッド』人類の禁忌について 雑記帳/ウェブリブログ

Mutteraway » Blog Archive » 神様と宗教

日記:漫画ヲタside | 04:00:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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「放課後のカリスマ」が面白そう
今頃「神のみぞしるセカイ」がマイブーム化しつつありますが、

この作品もかなり面白くなりそうな予感。

「放課後のカリスマ」スエカネクミコ - 雑食メモ

以下は予想メモ。読んでない人に分かってもらうつもりで書いてないけどごめんね。
将来的にあたってたらにんまりする、くらいのつもりで適当に書いてるから。


「一騎当千」のようなネタではなく、

クローン技術によって「本人」が歴史に再び登場するというお話。

いうなれば、偉人版ジュラシックパーク。

徹底管理されているところも一緒。

予想されるルートとしては、

1:「クローン技術反対勢力」との戦い 
絶対可憐チルドレンで、その方向性は却下されたはず。

2:「他国のクローン英雄との戦い」
「ヒトラー」VS「JFK」とかが実現するかも。
「スマブラ」のような楽しさはありそうだけれど、雰囲気的にちょっと。

3:「運命(歴史の修正力)」と戦い、自らのアイデンティティ、自由を獲得する。
まぁここだと思いますけどねー。

4:「7SEEDS」の穀雨の章
人道的に許されざるこの「クローン管理」は、来るべき「滅亡の日」または「戦争」に立ち向かうための、やむを得ない処置だったとする。しょっぱなで「キュリー」が消されているあたりからもその可能性はあるだろう。なにか飛躍的な「発明」をし、「戦術家」がそれを運用する。そんなイメージで。

日記:漫画ヲタside | 21:43:43 | Trackback(0) | Comments(0)
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「俺の嫁という商品」について1 :「メイド諸君!」
「ヨイコノミライ」の作者だから当たり前だけれど、この漫画かなりイタいなぁ・・・。

ただ、これもひとつの「俺の嫁」像なんだろう。


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日記:漫画ヲタside | 01:01:01 | Trackback(0) | Comments(0)
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子供の自主性や感受性は信頼し、子供の理解力や良識は疑え!
絶対の善や悪はない。
そういう単純な考えをしがちな子供に現実の複雑さを教えるのが大人の役目っしょ。


POLAR BEAR BLOG: 『なかよし』はあんまり仲良しじゃない?
『なかよし』で「いじめたりおどしたりするシーンが多く描かれている」という項目が23.6%と特出しています。また「援助交際や出会い系サイトの話がよく出てくる」も8.3%で、登場する7誌のうちでトップ。

引用元の記事は「だからなかよしは有害」という趣旨ではないのですが、もしこの結果を批判する人がいれば、そういう「問題」までちゃんと見つめるから「本当の仲良し」が描けるんじゃないか。あんまり創作を薄っぺらいもんだとバカにしてっと許さぬぞー、って噛みついてやる。



とはいえ、もちろん「善悪」を判断できる対象かどうかの見極めは重要です。私の年になったって、何が正しくて何が間違っているのか判断できないんだから、子供たちにそれをしろって言うのは無理がありすぐる。子供たちに、大人より高いハードルを要求してどうするよ?といいたい。

だからといって、子供たちに「情報取捨の選択を許さない」トいうのは、明らかに子供をバカにしすぎ。温室栽培の害悪どうこうの問題じゃなくて、親が面倒みきれないからそうやってフィルタリングしようとするんだろうけれど、親が見てなかったら、子供が何をするかなんてわからないじゃん。親が許そうが許すまいが子供は親の思惑なんて超えていろいろ情報とってくるさね。

ありきたりな話だけど。信頼するしないとか単純化しないでさ、自分たちがチェックしてやることによって、出来るだけ子供を自由にさせてあげようよ。で、間違ってると思ったら話しようよ。




まぁ一番いいたかったことは、子供の話にかこつけて、

感受性を疑う気持ちはわかりますが、ヲタは子供じゃないんで、

「ヲタの良識をもうちょっと信頼してください」

ってとこなんだけどな!

日記:漫画ヲタside | 02:08:50 | Trackback(0) | Comments(1)
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「アホにアホというやつがアホ」の本当の意味
この言葉は本当の意味で「空気を読むこと」(相手を見極め、周囲の反応をコントロールすること)の重要性を説いていると思うんです。

痛いニュース(ノ∀`):オープンカーに乗った親子、高校生に「あいつら寒いのにアホやな」と言われ激怒 「脳みそ出すぞ」と金属バットで殴り、車内に監禁…大阪

「アホにアホという奴はアホ」という言葉はその相手にアホという発言をすることのリスクを考慮しない危険性を戒めています。「アホといってよい相手を見極める」ことは大変必要なんです。

「相手を見極め、危うきには近寄らず、組しやすい相手と組む」

これは護身の極意でもありますし、コミュニケーションそのものの極意でもあるでしょう。
己の見栄か、ちょっとした悪ふざけかはしりません。ただ、「ちょっかいをだすべき相手かどうか見極められない人間」はやはりちょっと頭が悪いといわれても仕方がないのではないでしょうか。

私も人間ですから、「わかっていてもちょっかいを出したい時」はあります。ただ、その場合、起こりうる結果については覚悟することは必要でしょう。箱の中の猫じゃないけど「まさかこんなことになるなんて」といった瞬間に、その人がアホであることが確定します



マンガコンシェルジュに「paperball over the head」というマジックが紹介されています。



「単純、私にもできそう」

「そう思いますか?トリックは単純です。ですが、このマジックは最高に難しい。助手役のお客様にトリックがバレればそれだけで失敗。助手役のお客様がトリックに気がつかないことを笑い物にする演目ですから、助手役のお客様か観客を不愉快にすればやはり失敗。

このマジックを成立させるには、人前で笑われることを苦にせず、また観客が気兼ねなく笑うことができる。助手役に最適な人間を選び出すことからはじまって、その反応を完璧にコントロールし、場の雰囲気を完全に読み切る力が要求されます。」

「これは技術ではできません。経験と勘。洞察力、観察力、そして対応力が必要なんです。」
 


別にこれほどの能力は必要ありませんが、少なくとも批判するとカーッとなりそうな人の相手に炎上しそうなトラバ記事を投げつけたり、SBMでネガコメを投げつけるような空気の読めなさは、やっぱりアホといわれても仕方がないと思うんです。
もっとも、現実と違ってネットでは相手がそういう人物であることヲ見極めるのは難しいです。ですからネットでは、相手が怒ってしまったら、素直に「相手を見抜けなかった自分がアホやった。これ以上アホになる前に引き下がるのが賢いわ」という発想で、礼儀正しく引き下がる知恵を持ちたいですね。


日記:漫画ヲタside | 00:59:10 | Trackback(0) | Comments(0)
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「Chaos ; Head」プレイ後に読み返したいマンガ
「Chaos Head」はやたらとダークなボーイミーツガールのお話ですが、

主人公に視点を絞ると「人間以下」の存在のものが、「自分の意思を持って」 「自分の為に」 行動することで人間になるという話になります。(EDによっては、「人間以上」のまま終わってしまいますがが・・・)

これは、社会的に見て人間以下の存在である私のようなオタをインスパイヤしてくれるものでもあります。



「ヨイコノミライ」と「未来日記」が無性に読み返したい。間違っても「げんしけn」ではだめです。

なんというか、「イタい子への愛情」というか、「イタい子」が、そのままであり続けるか、一念発起するのか、その分岐ポイントが気になるんですよ。

一念発起に絶対に必要になるのは、「自己否定」なんですよね。
で、こうするとまた「自己否定」すればいいのか、って短絡的な結論を出す奴がいますが、それは違います。「自己否定」を行うためには絶対に2つ必要なモノがあるんです。それが・・・


「エネルギーの蓄積」と「きっかけ」です。


(エネルギーの蓄積なしに「自己否定」ができると思っている人間はアホです。倒産してやり直すだけでも資金注入が必要であることなんて、社会人なら誰でも知ってるはず。知らないのは挫折したことがない人と、社会人経験がない母親だけです。)

それは、大抵の場合「何かとの出会い」なのですが、
その「出あいのチャンス」を逃がさない人間と、そうでない人間との違いは何なのか。

その辺りのヒントが、上の2つのマンガにあったと今さらになって思うのです。

そのあたりどうでしょうかね・・・。



ちょっと話は変わりますが・・・

「感想」と「批評」の違いを考えてみる - 空気を読まない中杜カズサ
 「本来批判は肯定より何倍もの労力を要する話」

日記:漫画ヲタside | 02:35:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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「壁の向こうの太陽」に向かって吼えろ :ホーリーランド
昔のドラマには、背景に太陽があった。夕日があった。
明確な未来がそこに見えた。

今のドラマで、太陽が映る事は少ない。
舞台は学校の中、職場の中。外に出るのは夜の街だけだ。
恋人同士の会話も、携帯電話を通して行われることが多い。
明るさを感じさせる「背景」が、現実をより「リアルっぽく」
描写するドラマの中から消えうせているのが今という時代である。


というわけで「夜の街」をテーマにしたマンガ、ホーリーランドから。

今週のテーマは「何故若者は殴りあいをするのか」である。
コレについて、(「語り」のウザさに定評がある)作者はこう推測している。


強くなりたい、今の自分を超えたい、という思いの一つの形ではないか、と。


ここからは、勝手な解釈だが、
そうでもしなければ、自分の前に立ちふさがる壁を
乗り越えることが出来ない人間がいるのだと思う。

なぐること、相手を屈服させることよりも、
殴られる可能性、そこから生じる痛み、苦しみへの恐怖を
克服することで、成長したいと願う人がいるのだと思う。

彼らは「フィードバック」の体感に飢えている。
身体感覚を重視する人達は、頭だけでは足りない、納得できない。
他人に、己の存在、己の成長を証明して欲しい、保証して欲しいのだ。

正直あまり理解できないが、そういうことはあってもおかしくないとは思う。



■大人になるとはどういうことか?

大人になる方法、いや、自分が大人になっている、成長していると
実感する方法はいろいろあると思う。

自身を物語の主人公に投影して擬似的な成長を求めるか、
若いときから社会に飛び込んで、乗り越える、とか。

しかし、それを他人に承認してもらえる機会が失われている。
「自他共に認める大人」になる機会が失われ、
そのためか、自分の周りに「大人」がいなくなっている。
自分の親も、教師も、人間のクズだったりすると、
行動範囲の狭い若者はそこで先が見えず立ち止まってしまう。


言い換えると、この世の中からの「試練」や「イニシエーション」といった
成長(を実感)する機会、大人になるための儀式を求める者は、
何らかの形で、自分の身体感覚を頼りに、模索せざるを得ないというわけだ。

それがどのような形であれ、自分自身で
成長を求めてあがく姿には、みっともなさと同じくらい格好よさを感じる。



■子供から「試練に耐える力」を奪う「よいこの社会」の弊害

この作品はこういう「成長への志」が
「夜の街」という、社会の表舞台から外れたところで
行われてしまっている点をこそ問題視している。


「良い子」の延長で、明確な区切りを持って大人になることなく
そのまま社会に出た大人は、こういう人間の姿が理解できない。

しかも、彼らは「何の根拠もなく、自分たちのことを大人だと思いこんでいる」から
自分たちの規範に、若者を従わせようとする。
そうやって、「よいこの価値観」で子供達を押さえつけると、
その価値観に合わない人間は、社会から脱落せざるを得ないのだ。


数日前の「よいこの星」という作品の感想で書いたが、
「よいこの価値観」は基本的に幼稚な二元論である。
自分たちが嫌いなものを悪としてバッサリ切り捨てる乱暴な論である。
衝突やいじめというのは、この「幼稚さ」から生まれるのだ。

特に、自己抑制を知らない子供達は、
その意義も理解せずによりえげつない形で「いじめ」を実行しかねない。

「幼児」であるうちは良い。
いじめであっても、深刻な結果になる危険性は低い。
「大人から見れば」じゃれあいで済むレベルである。
しかし、力が付いてくるとしゃれにならない結果を引き起こしかねない。

故に、小学校高学年までにこの「幼稚ゆえの残酷さ」から子供を成長させるのが
教育というものの第一番目の目的であり、大人の義務である。
大人は世の中はもっと複雑なものであると教える必要があるのだ。

しかし、今は大人がこの「よいこ」のまま止まっている。
TVだけ見て育った「よいこ」がそのまま子供を教育する。
「教師にゆとりのない教育」の結果、効率重視の二元論の元
「よいこ」が権力を持ってしまう教育現場が生まれる。
こうして「取り返しの付かない」イジメは発生する。
生き延びた子供は夜の街に放出されることになる。

それを描いたのが「夜回り先生」であり「ホーリーランド」なのだ。


■暴力は死ぬほど嫌いだ。
 しかし「子供の暴力」にまで蓋をするのではなく、
 子供を成長させるくらいの器量は社会に欲しい

結論は、大人は「自分がなぜ大人であるか」をしっかり考えて
その責任を果すべきだ、ということである。
ソレができないなら、大人の権力を放棄し、幼児からやり直すべきだ。

社会がモロいのは、大人が社会を支える力がないからだ。
大人が子供を教育する力がないからだ。

これはいじめに限った話しではない。
「金融教育」についても、「語学力」についても「グローバル感覚」でも同じ。
全部今の大人は「よいこ」止まり。若者以下なんてザラだ。

大人は空虚なプライドなんて捨てて、
今一度「大人」になることを目指し、子供に誇れる社会を築き上げるべきだ。
もう一度、太陽が映るドラマを作り上げるべきなのだ。

日記:漫画ヲタside | 12:33:39 | Trackback(0) | Comments(0)
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戦場を駆ける医師イコマ : 「被害者の遺族」が本当に求めるもの
「もし、お前が俺と同じ立場だったらどうする?」
「もし、おれが同じ立場になったら、俺は銃を手にとって奴らと戦うだろう。
それでも今の俺は医者だ。みんなを救う義務がある。救いたい!救わせてくれ!」
「そうか・・・お前なら、信じられる・・・皆を頼む・・・」


404 Blog Not Found:News - 元少年に死刑判決 - 死刑の是非の前に問いたい是非
 もし私が同じ境遇に立ったら、
 国に預けた「殺しのライセンス」を真っ先に取り戻しに行ってしまうかも知れない

この文章は、何となく日本にいると遠くに感じるテロリズムについてかんがえさせられる。

私には、幸いにもこうした境遇に置かれたことがないから、
真の意味で、こういう被害者家族の感情について
想像以上の、フィクション以上のものとして理解したりはできない。

しかし、復讐したい相手が国によって守られていたり、
あるいは国そのものだったとしたら・・・その理不尽がまかり通る世界だったら・・・。
復讐殺人やテロリズムというのはそういった、
制度というか社会契約の考えまでないと語れないのだろう。



その点からしても、朝日新聞の記者の発言は、
報道記者として必要なものだったかも知れないがやはり軽率さは否めない。
質問を批判している人も、その点を認識したうえで批判されているのか、非常に疑問である。

「被害者遺族の感情を考えろ」というが、所詮それだって想像にすぎない。
誰もが、感情を「理解」することなん出来やしないのだ。
自分たちが「良い人」でいられる解釈を求めているだけにすぎない。

私達が被害者の為にできることは、こういう言葉狩ではない。まして一つの事件にだけ世論介入することではない。制度や運用を真剣に議論することだろう。今後「正しい証拠や事実認定によって裁判が運用されることを約束する」ことだろう。
それによって、「被害者の死」を無駄にしないことであろう。


今回の遺族である本村さんは、それを切実に求めていることを語ってくれた。
正直、映像を見ていて涙が出た。
その点についてもっと論じるべきだと思う。



「いいひと。」のリストラ編でも同じようなことが描かれていた。

理不尽によって会社から抹殺される人達が、
自らを処する「リストラ制度」を、会社の外に出て作ることによって、
続く人たちが「その理不尽に自らの意思で対処できる」ようにした。
「自らの死」を後に活かそうとした。

今の日本人だけの、いや、マスコミの特徴なのかどうかも知らないが、
とにかく世間が「死人」につめたい、ただその事件を盛り上げるだけ、犯人をたたくことだけで終わってしまって、後に生きてこない。それこそが、一番被害者に冷たいと思う。

取り返しがつかない被害にあった人の為にできること、被害者の死に報いること。
それはもっと考える必要があるだろう。

日記:漫画ヲタside | 22:09:36 | Trackback(0) | Comments(0)
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「がんばらなくていいよ」 from いいひと
4日ほど前の記事について

僕が非コミュである原因 - 遥か彼方の彼方から

自分もこれ読んで、「非コミュ」という曖昧すぎて解決不可能な問題を
「会話スタート」と「共通の話題を発見する能力」などに分解して、
個別に対処していこう、などといろいろ考えていた。

しかし、いろいろ悩んだ挙句の結論は、「いいひと。」のゆーじ君の言うとおり
「がんばらなくていいよ」なのかもしれない。

多分いろいろと「会話」に期待しすぎているから、苦しくなっちゃう。
会話ってそんな難しく考えるもんじゃねーべ。
うまくやろう、とか格好良くやろうなんて考えると、息が苦しくてたまんねーべ。

相手に興味もてないんなら、それはそれでしかたねーべ。
ビジネスとか、研究、ブログなんかだけで会話してるといろいろ無理しなきゃいけないこともあるだろうけど、それは普段の会話では必要ってわけじゃねーべ。

もし「必要」になったなら、その時にうんと苦労するはずだから、その時に思いっきりがんばればいいさ。そして、多分がんばらなくても「聞きたいことだらけ」のはずだから、大丈夫だと思うんだ。

「困った」なんて考えなくてもいい。そう思う。



<いくつか関連する引用>

■歩かなくても今、無理せず 自然に生きれてる。
歩けないかわりに・・・そういう温かい周りの人に恵まれた
それって、きっと大事なことだと思うよ。

■夢は、普通です。
そして生活です。
私の生活のほんのちょっとだけ未来にあって、キラキラしてる。
・・・だから私は生きていけるの。

■ワガママだって言うなら、その分苦労すればいい。
自分の夢を実現することがワガママなら思いっきり苦労するはずです。
(この事実には)誰にも文句は言わせません。

でも、それでもやりたいなら
自信を持って!堂々と!苦労してください。

■信じると期待は違うんだよ。
期待は見返りを求めること。かけた方もかけられた方もつらくなっちまう。
信じることはそうじゃない。相手が幸せになるよう、想ってあげることなのさ。
信じてなかったら、しんどくてやってられるかってんだ。





結局、会話の根本にあるのは
お互いの「楽しい時を過ごしたい」という気持ちを信頼することじゃないかな、と。

自分だけが頑張らなきゃ
自分だけがうまいこといわなきゃ
自分だけが相手に関心を持たなきゃ

じゃなくて、

相手が同じことを考えていて、
同じように自分に興味を持ってくれると信じる。
そうすることで、はじめて自分から動けるようになるんじゃないのかな?


・・・と、普段だったら恥ずかしくてよう言えない言葉が
なんだか自然に感じられるこの「いいひと。」超お勧めです。
私のこの記事読むひまがあったら、ぜひこの漫画を100回読んでください!

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日記:漫画ヲタside | 17:00:10 | Trackback(0) | Comments(0)
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