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「約束」や「宣言」じゃなくて「ただの意見」だったなら仕方ないな・・・
要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51

についてさんざん批判記事を書いた後でなんだが、
私は最後にはフォローを入れようと思っていた。
というより、実はすごく気に入っていた。
だからこそ、私の中では気がねなくツンデレぶりを発揮することができたのだ。

さんざん文句をいった後で、それでもこういう考えが好きだって言いたかった。

言いたかったかったんだよ・・・。

何にそんなに感動していたかというと、この記事は、彼が私たちにしてくれた

「約束」や「宣言」だと感じたのです。

彼の言葉からわたしが感じ取ったメッセージはこんな感じ。

「勇気があれば、たいていのことはなんとかなるってことを証明してやる」

それが、実際にできるかどうかはともかく、とりあえずとことんやってやる。

そんな前向きな、マンガの主人公みたいな意思を感じ取ったのですよ。

麦わら帽子の男が言うならともかく、現実の人間がこれだけ明確で強いメッセージを打ち出してくれたことに本当に感動してたんだ。



約束や宣言というのは、非常に重い。

「勇気があればなんとかなる」って言ったからには、

自らが身をもって「勇気」の力を証明する義務がある。

言葉を信じてついてきた人達の為に何が何でも成功する義理がある。

その宣言をすることで、必要がないのに、重い重い荷物を背負うことになる。

それでも彼はその覚悟を持っているのだと思ってた。

「ビルドゥングスロマンに酔いすぎ」とか「事態を単純化、矮小化しすぎ」とか揶揄していたサイトがあったけれども、個人的には、逆にそういうところがたまらなく魅力的だった。


だからこそ、この記事には絶望したっ!!


70のトラックバックを読むだけの、めったにないお仕事です。 - Attribute=51
やっぱり不完全なままエントリーあげちゃっていいんだろなーって思ってしまう

普通の「意見」なら同意するよ。

でも、これがただの「意見」だったのかよ!

絶望した!心から絶望した!

何か、心の中から美しいものが一つ失われた気分だ。

しばらく人間不信というか、強い思いを抱くことが不可能になりそうだ。

彼が全然悪くないのは分かってるけれど、勝手に信じて、勝手に裏切られた気分になっている自分が全面的に悪いのだけれど、それでも、guri_2さんをしばらく恨みます・・・。

日記:スーツ(笑) side | 01:14:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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「勇気」という言葉が危険すぎて素人にはオススメできない理由
勇気という言葉は、「参加することに意義がある」(※)
と同じくらい誤用が多いと私は思う。

もちろん、言葉は意味を共有するための道具であるから、
誤用から転じてよい意味で使われるようになっていれば問題ないのだが、
この場合の誤用は、あまりよい方向に働いていないように思われる。

要は、勇気がないんでしょ? - Attribute=51
なぁなぁ、ホントにできないか? できない理由って具体的になんだ。それに対してこれまで行った対応策はなんだ。
意外と具体的には言えなくて「なんとなくできない気がしてる」だけのときってあるし突き詰めてみると、「それって勇気を出して一歩踏み出せば解決するんじゃん?」ってことが案外あったりすると思ってるんです。

私は、この文脈において使われている「勇気」という言葉は、「自律・主体性」といった言葉から、失敗のリスクや責任を取り除いた、きわめてご都合主義的な言葉のように思われるので、個人的には好きじゃない、というか感性的には嫌い。

私が大事だと思うのは「自律・主体的」であることだ。例えばこんな感じだ。

"Self discipline is the ability
to make yourself do
what you should do
when you should do it,
whether you feel like it or not."

Discipline yourself to do
what you know you need to do
to be the very best in your field.
<「7steps to success」より引用>

超意訳するとこんな感じかな。
「何、自分の好きなことで成功したい?
それなら自分がやりたかろうがやりたくなかろうが、
やるべき時にやるべきことをやれ。
やるべきことが何かって?そんなことは
本当は自分が一番よくわかってるんだろ?」


個人的に大事だと考えているのは
最後の「自分が一番良くわかってる」ということ。
確信がない状態でやっても意味がないし、
やるべきことに確信をもてる状態というのは、
そのことについて、普段から十分考えているということ。

その上での行動する。
一度取り組んだら、つらくとも最後までやり通す。
無謀でないと確信があればがんばりとおすことができるはず。
そういう意味での「Self-Discipline」が必要だと思う。

言葉で「You!やっちゃいなよ!」って言うのは簡単だけれど、
なんでも思いついたら突っ走ってしまうということを
「勇気」だというのなら、そんな勇気を私は必要とは思わない。
「やっちゃってダメなら仕方ないよ」っていう
逃げ道を残した状態で、「とりあえずやってみる」ってのが
必ずしも正しいわけじゃなく、そういうのが嫌いな人間もいるんだってことを
理解して欲しいと思う。



[オマケ](個人の)成功のための7つのステップの意訳
1:自分にとって有意義な、やるべきことを決める(Decide What You Want)
2:やるべきことのイメージを具体的に目に見える形にする(Write it Down)
3:「イヤでもやらなくてはいけない仕組み」を作る(Set a Deadline)
4:「GTD」よろしくとりあえずやるべきことを全部書き出す(Make a List)
5:書き出した後、自分のキャパシティや優先度を考えて計画に落とし込む
  やるべきこととやらないことの峻別は必須(Organize Your List)
6:ここでようやく行動を起こす(Take Action)
7:刃を研ぎ続ける(Do Something Everyday)


正直、かなり古臭い成功原則なので、この通りにやるべきとは思わない。
ただ言いたいことは、「行動」の前を「勇気」とかいう言葉でおろそかにしすぎるなってこと。
そして、逆にやりすぎもよくないってこと。手順を追って、前に戻らないように意識しようってこと。

ただそれだけです。



※以下は「参加することに意義がある」についての豆知識。
特に面白くはないですが、トリビア好きの方はどうぞ。

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日記:スーツ(笑) side | 17:50:29 | Trackback(0) | Comments(0)
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原作に敬意をはらうって、原作通りにするってこととは全然違うと思う
言いたいことはただタイトル部分がすべて。

数記事前に「リメイク」に関する記事を書いたのですが、
それとつながるような、つながらないような、中途半端な状態で書いてます。
結論が出たら別途記事立てて考えたいと思います。

アニメータの個性はいらないが、MADはハメを外すほど面白い、という二極化 - 萌え理論Blog
アニメータが工業製品的に無個性を徹底的に要求され、その割りに(末端は)別に高給でないのなら、MADを作って遊ぶ方が楽しいよね、ということになっていきそうです。今はともかく、十年単位で世代交代したときに、変化が現れるかもしれません。変化自体の賛否とは別に、流れは把握しておきたいわけです。

なるほどな〜、「きみある」のアニメなんかもろにその流れに乗っかかってる気がする。
こういうのは本来「邪道」であって、一昔前なら人気どころかアニメとして許容さえされなかったと思いますが、今は逆にこういうのが受けて、「狼と香辛料」のように原作に極めて忠実なアニメが評価される、と。(1巻の最後部分でのキャスティングはびっくりしたけど)

二極化の結構がはっきりと見てとれる。


個人的には「原作レイプ」って表現が何を意味するのかわからないです。
原作に敬意を払うって、「原作通り」にするとは全然違うと思うのですよ。
むしろ「原作を絶対に超えないことが保証されているアニメ」なんて、原作を読んだあとでは
見たいとは全く思わないタイプです。

そして、こういうのって映画だったら当たり前に受け入れられている考えだと思う。あんまり見ない人なのでいい例をあげられないのですが、「原作の通りじゃないという点で批判される作品」なんてあんまり聞いたことがありません。何でアニメだけそこのところが特別になってるんだろうか、それがわからない。
(あーでも「バイオハザード」とかで批判してる人いたなぁ。あと「ドラゴンボール」の実写化はどうかと思ったりするので、実際は違うのかもしれないけれど)



と、創作者じゃない人間がなんかいってもむなしいだけなので、参考になりそうな話を引用。
長文なんだけれど、どれも大事な話なので削れない・・・。

『精霊の守り人』テレビ・アニメ化について
たぶん、「え〜!! これは、私のバルサじゃない!!」と思う方もいらっしゃるでしょう。ちなみに、あのバルサは、原作者である私にとっても「私のバルサ」ではありません。

自分の心の中にある大切なイメージと、ちがうイメージとなって流布されていくことを知りながら、なぜ、あえて、アニメ作品にすることを承諾するのか。――それは、自分が生み出した物語が、そんな風に、多様な表現へと広がっていくことを、素晴らしいことだと感じているからです。そして、自分の物語を他の方が表現するときに、どんなイメージになるのか、見てみたいという思いがあるからです。

文字で書いた物語、あるいは口で語る物語は、読んだ人、聞いた人が、頭の中で、それぞれのイメージをふくらませることができる表現形式です。他者が作り上げた人物を自分の頭の中でイメージできる……人って、おもしろい生き物だなぁと、つくづく思います。

そして、他者が生み出した物語を読んだり聞いたりした人が、心をゆさぶられて、自分なりの表現で、その物語に形を与えたいと思い、自分なりの作品を生み出していくこともある。――神話や昔話が、歌になったり、踊りになったり、劇になったり、岩に描かれる絵になったり、多彩に表現されていったように。
人の心をゆさぶり、人の創作意欲に火をつけられる力をもつ物語というのが、あるのですね。『指輪物語』などは、まさに、その好例だと思います。

ある人が生み出した何かに刺激されて、べつの誰かが、自分なりの輝きに変えて表現していく……。私は、こういう「人の性」が、好きなのです。
そして、自分が生み出した物語が、才能ある他者の創作意欲に火をつける力をもっていたということが、とても、とても、うれしいのです。

もちろん、自分の生み出した物語を、こんな形にはしてほしくない、ということはあります。でも、原作に沿おうとするあまり、その表現者の個性にあった才能が充分に発揮されずに、作品に命を与える「火花」がない駄作になってしまうよりは、私のイメージとはちがっても、私が「すごい!」と思うことのできる傑作になって欲しい。その傑作を生み出した原動力が私の作品だったのだ、と思えるなんて、すごいことだと思うので。

性質やレイヤーは違うし、法による強制をしているわけじゃないけれど、

原作を愛するあまり「こんなの〜〜」じゃないっていうのを一次創作者に押し付けてしまうことは、創作活動そのものに対して過剰な幻想を抱くあまり「児童ポルノを含む創作なんて創作じゃない」って言ってる人と五十歩百歩に感じてあんまり好きじゃないです。

ユーザーは、もうちょっと自分たちの持っている潜在的な「権力」とでもいうものについて自覚した上で、それをよりよい方向に向かうように行使してほしいなぁ、と思う。

今週の絶望先生じゃないのですが、こういう話はもともと「勝者なきバトルフィールド」であって、
それが「両方負け」あるいは「両方勝ち」になるかは、気持ち次第だと思います。
せっかくだからもっとアニメが面白くなるような流れが進むとうれしいなぁ。


日記:スーツ(笑) side | 17:53:28 | Trackback(0) | Comments(2)
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本の読み方(三) ブログを利用した、本の読み方
前二記事にわたって、田坂広志先生の読書術についてまとめてみた。

あとは、その「読み方」にブログをどう利用していくかについても考え中。
ブログに限らず「書く」こととの組み合わせについて、自分にあったうまいルーティンを組みたい。
(なにせ読むのとちがって、書くことにはものすごく時間がかかるから)

読むということと、書くということには当然つながりがあって、
読書をただの知識でなく体験にするためには必要不可欠なくらいだと思っている。
マイナス電荷状態とプラス電荷状態の原子が結びつくくらい必然だと思う。

1年位前、このブログ上で、
「その日に発売された週刊誌を横断するメッセージって何だろう」
という取り組みを1ヶ月ほど続けていたことがある。

この取り組み自体はあまりにも労力がかかる上に、あまり意味がなくやめたが、
書き方についても、田坂先生の読書術を参考にしながら考えてみよっと。



シゴタノ! - 読書を仕事に役立てるまでの5つの関門

これいいな・・・。

日記:スーツ(笑) side | 22:45:01 | Trackback(0) | Comments(0)
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本の読み方(二) :田坂先生の読書術に学ぶ
少し前の記事で、読書は「自己啓発」なんて目的で読んでも意味がないよ、という話を書いた。
じゃあ何のために読むのか、という点に自分で答えを出せなかったので、
今週のプレジデント誌に載っていた田坂広志先生の読書術について整理してみる。

あくまで読んだ人向けのまとめなので、
まだ読んでおらず、この記事で興味を持った人は、是非本文も読んでいただきたい。

構成だけでなくて、まとめでは再現できない本文の持つ説得力を味わっていただきたいからだ。
というよりも、それが理解できないと、ここでまとめることは「知識」で終わってしまう。



田坂先生は、読書の目的を3つに分類され、
それぞれの分類では読み方が異なるとされている。
具体期には、それぞれの読み方について、3〜5の心得を説かれている。

■3つの分類
▼知識を得るための読書(広読)

▼智恵をつかむための読書(体読)

▼心の糧を得るための読書(心読)

つまり、「知識」と「智恵」を明確に分類すること。
そして、読書の目的をより深いところにおくことを説かれている。

では、まず広読についての心得を列挙する。

▼知識の生態系を育てながら読む
▼深い問いを抱きながら読む
▼物語を考えながら読む
▼気になる言葉を残しながら読む
▼未来を想像しながら読む

具体的なアクションについても本文で説かれている。
それは良く知っている「バラバラのジャンルを読むこと」であったり
「なぜを考えながら読む」だったり、「線引きや付箋を利用した読み方」だったりするが、
それはいったい何のためにやるのか、ということを、この心得を元に整理しなおしてみると面白い。

次に「体読」について。個人的にはここが一番重要だと思うので、個人的な補足をしておく。

▼知識と智恵を区別して読む
  →フォークボールは、打ち方を聞いただけで打てるようにはならない

▼自身の体験と重ね合わせながら読む(智恵は自分の体験からつかむ)
  →経験がない人間は、知識であるという認識を持って、深く心に刻んでおく。
   それが「体験をもとめるこころになり、体験を逃がさないアンテナにもなる」

▼謙虚な姿勢で読む
  →「下段者に上段者の力は測れない」という言葉を心に刻む。
   特に抽象的な内容を読む場合には注意すべき

▼「感得」を心がけて読む
 →心が動かされ時が「気づき」の瞬間。
   ひざを叩くなど、体を動かせて、強く認識させるなどの工夫も良い。

▼「行じる覚悟」を持って読む 
 →智恵はつかんだら終わりではない。
   それが失われないよう努め、さらなる智恵への足がかりとすべき。
 →「大悟数回、小悟数知れず」の言葉を忘れず、十年単位で付き合う覚悟を持つ。


最後の「心読」。
これは「読書とは究極的に何であるか」を説くもの。

残念なことだが、私はここで書かれていたことをしっくりくる体験があまりない。
そういう体験をした方に補足をお願いしたいと思う。
個人としては、今はまだ知識として言葉を心に刻んでおくにとどめる。

▼著者と格闘しながら読む
▼自身の原体験を見つめながら読む
▼魂が共鳴する言葉を求めて本を読む

例:「答えのない問いを抱いて生きるとき、
   私たちは人間として最も深みのある成長を遂げる」
  「世界を解釈するのみならず、変革せよ」という知行合一の教え
  「世界は自身であり、自身は世界である」(鋼の錬金術師的)
 



[まとめ]ただの「言葉コレクター」から、「読書家」を目指そう!

ブログを前から読んでくださっている方はお気づきかも知れないが、
私にはいろんなブログや本を読んで「言葉」をコレクションするのが趣味であったりする。

自分には心から吐き出したい思いがたくさんあって、
しかし自分の中に良い言葉が見当たらなくて、
「使えそうな表現はないか」という意図を持って、今まで本を読んでいた。
完全に「広読」の段階でとどまっていたと思う。

しかし、たぶんそれは「心読」で言われている
「魂が共鳴する言葉」とはレベルが違う。

私もできることならば、そういう言葉に出会いたい。そのときの感動を味わいたい。
そのためにも、まず「体読」が必要になるだろう。精進を心がけたい。


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日記:スーツ(笑) side | 22:40:09 | Trackback(0) | Comments(0)
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自己投資と趣味を混同してしまわないように
ジェネレーションギャップ?違うよ、全然違うよ?

痛いニュース(ノ∀`):“かわいそうな世代”20代、酒飲まず、車を買わず…「貯金は自己投資しないのと同じ」とジャーナリスト

明らかなことは、

自分のやっていることを「自己投資」と信じて疑わない人
それが「大事なもの、必要なもの」だと信じて疑ない人、
それを他人に強要しようとする人は、

「自己投資って何だろう?」って自分の頭で考えたことがないということ。
特に「やってみないとわからない気づき」とか「楽しさ」を語る人の意見は無価値だ。



そういうのはただのお前の趣味って言うのだ。
「投資」って言葉で自己正当化図ってるんじゃねーよ、と言いたい。

その論理なら、エロゲオタだって、マンガオタだって、鉄オタだって、
なんだって「自己投資」って言えるんだよ、と。

ええ、そういう意味での自己投資なら腐るほどやってますから、
あなたにとやかく言われる必要はありませんよね?、と。

「自分が優位に立ちたい」という感情が、
「自分がやっていて、他人がやっていないこと」を過大評価するのは自然なこと。
その認識を持っていないと、恥をかくのは結局のところ自分である。注意されたし。



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日記:スーツ(笑) side | 14:00:03 | Trackback(0) | Comments(0)
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決めるのは社長 後は「課長」のお仕事
良い記事。

404 Blog Not Found:お金ありきか?お客ありきだ!


あっさりヤワっこい話だけど、
経営者としては「ビシッ」と決めることが大事なのだから正しいのだろう。
なったことないからわからん。

そして、だからこそ自分たちで考える余地が大きい。
ブレークダウンは「課長」たち(フラット組織なら全員)のお仕事だ。
単純にこの標語に賛同してるだけじゃ一歩も仕事が進まない。





特に、営業は営業で、技術は技術で、という感じで「それぞれの立場でお客様のこと考えている」のになんで「営業の牧田です!」みたいな、社内の政治争いが起きるのかについて深く考えたく・・・。

読んでない人ごめんね。簡単に言うと、舞台はビール会社。
 この会社で、開発が主導で作りだした、「営業から見てもよい製品」について
 「売り方」をどうするかという点で対立する、というお話なのです。

これは、「お客様の為に」とは何かが定量的なものとして共有できないからなのかな。
いや、「お客様の為に」というのは本当に定量化できないものなのかな。
完全ではないにせよ、共通認識を作るのに必要なレベルまでなら
「お客様のため」を定量化できないかな

っていうか今でもやってるけど、何か違うんだよなぁ・・・。



他にも考え出すときりがない。

例えば「どの段階の話か」ということ。

よいモノができたのに、その「売り方」で対立する、というのと
「作る段階」で営業と開発がもめるというのと、その辺りも違う気がする。
場面によっては営業主導、開発主導とかやらないとダメなんかな。
そもそも、製品開発のプロセスってどこからスタートするのかな。

あるいは業界のこと。
開発が強いところとそうでないところもあるよね。
営業がやたらと強い業界もあるし。(本当はそうでない方がよさそうな業界含めて)

そもそも大前提が間違っていないか。
これはワークフローの問題なのかビジョンの話なのか、社内統治の問題なのか。いやいや・・・。



このあたり整理して、実際の業務プロセスに効率的な形で落とし込むのが
本当の「ルーティン化」の能力なんだろうな。

漠然と考えていても、こういう玉虫色の結論しか出てこないので、今のところもうお手上げ。
自分の部署にあてはめつつ、一つずつ絡んだ糸をほどくように進めていくしかなさそう。

日記:スーツ(笑) side | 20:58:16 | Trackback(0) | Comments(0)
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マッチョとかwimpじゃなくて、問題はオタク社員と普通の社員が一緒の職場にいることじゃないかな・・・
前記事において、こんなことを書いた。

やる夫がマッチョ主義を超えていくようです - hamastaの日記 -お休み中- - 駆け出しプログラマーのグループ
▼偉さは、あなたの若さと引き換えにするには余りにも安すぎる。
 羊たる従業員は、将来の地位や利益ではなく、現在の利益分配を主張せよ。

→正直この発想は理解デキネ。

いや、本当にこの理屈はよくわかんね。

むしろ、この点についてはdankogai氏の言う通りだと思っている。

404 Blog Not Found:「報われる」って誰が報いるの?
もう技術者達も、「報われるのを待つ」だけではなダメだというのがわかっているのだ。

ただし、これにも2つ疑問がある。

まず言葉が足りない。「報われる」ことについて「金銭報酬」であるかのように読めてしまう文章だが、明確に「仕事」「職場環境」「金銭報酬」など、追及できる利益が多様なものであることを記述すべきだ。

もうひとつは、「これをやらなければいけないのは技術者の仕事なのか?」「技術者がすべてやらなければいけないのか?」「それなら課長ってなんの意味があるんだ?」ということだ。
(danさんは、すべての社員が課長化して、究極的には課長という「ポジション」がなくなることを想像されているのだろうが、それはあまりにも夢を見すぎである・・・)



どうも、オタ社員の経営陣の間で、「利益配分」という言葉の意味するところにスレ違いがあるから問題がいつまでたっても解決しないのではないかな、と思うのだ。

ニコニコで「うぷ主に報いるべき」って言う議論も同様で、そのあたりわかってないと思う。
(私は大前提として「作者達が今本当に求めているのはお金ではなく安心を支持する。)




個人的な意見ではあるが、今一番大事なことは、

マッチョやWimpといった、「資本家と労働者の綱引き」に目を向けることではなく、
「職場での同僚同士の競争」について、不要な競争を取り除くことではないか?

やる夫がマッチョ主義を超えていくようです
2ch管理人のひろゆきは「営業と開発は折り合いが悪くて当然なので、別な会社にしたほうがいい」という趣旨の発言していたことがある


つまり求める利益が異なっている「オタク社員」と「一般社員」との間を明確に分けて、別々に報いればいいんじゃね?ってことである。

そうすれば 「金銭報酬のコストを増やさずに、今まで以上に社員を意欲的に働かせ、より会社に大きな利益をもたらしたい」という経営者の想いと、「会社はもっと自分に報いてほしい。報わせたい」という社員の思いは十分果たせると思っている。その鍵を握るのは、オタク社員そのものではなく、社員の適性を見極めて峻別し、それぞれに適した環境を作り出す権限と役割を持った「マネージャー」だと思うのだ。

ご大層なビジョンとかミッションステートメントを一方的に掲げ、
それだけで社員が一致団結していけると本気で信じておられる経営者の方々。
後は自分で報わせなきゃただの負け犬、などと言っている経営者の方。

あえて言おう、カスであると!

404 Blog Not Found:「報われる」って誰が報いるの?
「自分で何とかしてしまう能力」。これが「マグロ技術者」に最も欠けているものだ

というが、技術者というかオタク社員を分断して一般社員の中に配置し、心理的に要求などとてもできない状況を作っておきながらこの主張は論外だ。その主張は、技術者が一致団結して行動する権利を与えてからの話だ。他人の痛みを切り捨てて前に進める人にはわからないかもしれないけれど。

忙しいのは重々承知しているが、会社のコアの部分ほったらかして、「土地ころがし(プログラム)金ころがし(投機)会社ころがし(M&A)」ばっかしてんじゃねーよ!といいたい。

何度も言うが、それだけでうまくいくと思うのは超エリートによるフラット組織、OSSの世界の幻想。
(有効なブランドステートメントの施策もあるのだが、直接の成功例を見たことはないし、私が語れる分野ではない。よって、ここではそれについては取り上げない)


具体例をあげよう。これは「いいひと。」というマンガにあったシーンである。

私はこの漫画を就職活動で悩んでいたころ、古本屋で読んで恐怖した。絶対にこういう状況にだけは陥らない職場を選ぼうと思ったほど、根源的な恐怖がそこにあった。

それが「オタク社員」と「一般社員」の決して越えられない壁
、だ。

オタク社員(以下バリバリ君)は仕事大好き人間だ。何も言われなくても頑張ってしまう。しかし、こいつらが頑張ってると一般社員は早く帰れない雰囲気になってしまう。課長に「お前ももっと頑張れ」って言われてしまう。しかし一般社員が求めているのは「文句を言われない程度にそこそこ仕事をやって」「早く帰ってプライベートを充実させたい」である。金銭報酬は二の次なのだ。そういう意識なのにバリバリ君がいると、困る。バリバリ君のせいで、残業しないといけないような空気ができてしまうと、どうしても意欲が低下してしまう。

逆に、一般社員が幅を利かせていると、オタク社員は片身が狭い。特にオタク社員が新人だったり、地位が低かったりすると悲惨なことになる。やりたいこともできず、与えられたなけなしの仕事はすぐに終わらせてしまって非常に退屈だ。すると、「自由時間」はどうしても会社と関係のないことに意識が向いてしまう。会社への忠誠心なんてスッカスカになってしまうだろう。

実際、このマンガでは、「残業」にあこがれを持つほどのバリバリ社員が、定時あがりが当たり前の職場に配属され、しかも「人の仕事を奪わないようにペース配分を心掛けろ」と教育を受ける始末。あっというまに5月病になってしまった。(私も、職場選びに努力したつもりであったが、やっぱり五月病になった。努力が足りなかった・・・。そのくらい、壁は厚かった・・・

そんな社員をどう指導し、社内一大プロジェクトを作り上げていったかについては、是非実際にマンガを読んでいただきたい。当時は単なるご都合主義だな、と思ったが、今ならその施策が本当に要求されているものであると思っている



本来経営者と労働者は「ストラテジー担当とオペレーション担当」という形、「アイデアと実装方法」という形で棲み分けし、共に協力してレベニューを最大化し、分配することが可能なはずだ。

dankogai氏は、妙に「限られたパイの奪いあい」というところに力点を置かれて、両者を対立関係においてしまいがちな雰囲気があるが、それは単なるアメリカ式ではないか?(よく知らないけれど)グローバル化といっても、そこまで日本が引き受ける必要はあるのだろうか?

日本において、そういう考え方は実際に「パイ」が限られている男女の関係に限られると思う。(男女の関係では、マッチョであるべきだという点については全面的に支持する)。
しかし、企業活動においては「パイ」の増加は十分可能だと思うのだ。そこでは争うべきではなく、むしろ協力しあうために知恵を絞るべきだ。


個人が一般社員を押しのけてマッチョ道を貫く必要性は絶対ではないはずだ。
いや、状況によっては必要になることが多い、その点は否定しない。
しかし、それが道理だというのは納得できない。ましてそれが経営者の発言することであれば。


問題なのは、この棲み分けが不可能な「バリバリ社員」と「一般社員」の関係をどうにかすることではないか。彼らは一緒においておくことが難しい。それこそ、いかんともしがたい会社の癌であると思うのだ。

そして、OSS開発を基軸に考えているdankogai氏は、この点について、言葉では理解していても、心では理解できていないのではないだろうか。だから、マッチョ道こそがすべてだとしてしまうのではないだろうか。

たぶん今の会社も「バリバリ社員」だけで固めているつもりなのだろうが、本当にそうなのか?




・・・なんだか書きたいことをが多すぎて整理できてない文章で申し訳ない。
ただ、私がdankogai氏が紹介してくださった「課長への教科書」という作品を読んで、そこに見た可能性にどれほど感動したか、どれほどdankogai氏と著者に感謝しているか。この記事を読んでくださっている方にはわかるまい。
それなのに、dankogai氏が、マッチョマッチョという言葉を連呼されているのが、どうにも悲しい。

自分は別の道を進んでみたいと思う。「いいひと。」にあった、「プレゼンテーション以上に大切なもの」を、実際の会社でも実現したい。

ディスコミュニケーションを物語へと広げる「いいひと。」 - モノーキー


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日記:スーツ(笑) side | 11:17:59 | Trackback(0) | Comments(0)
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あなたが管理職の人を無能だと思う瞬間
今時の困った新人…「挨拶がきちんと出来ない」「メモ取らず同じ質問」「敬語が使えない」

を見て、反射的に「無能 管理職」などでググってみた。(私のネットリテラシーは小学生なみィ!)
しかし、「無能な管理職」を類型化しているサイトが見当たらなかったのでとりあえず記事立て。
「無能な部下」ばっかり取り上げてるのはアンフェアです。

しかし、特にいい考えが浮かばず。
私は「管理職はどうあるべきか」を考えるのはアイデアが出るのに、
「こういう管理職はダメだ」という方向性で考えるのが苦手のようだ。

深く考えずに気楽に。アイデア浮かび次第随時更新。むしろアイデアをください。


▼やる気がでない奴に「やる気を出せ」という課長
▼「東大卒(高学歴)なんてしょせん使えない」という課長


日記:スーツ(笑) side | 17:23:12 | Trackback(0) | Comments(0)
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自由決定主義を唱える人の話は、「語られない部分」をちゃんと補わないとただの毒
自己決定せよという言説の矛盾 −自己決定権とパターナリズムについての考察−
「自己決定せよ!」という権力的パターナリズムの諸言説の機能をよく見極め、また、「自己決定」なるものが本当にあるのか、ということについても考え行く、そういった冷静さを持った慎重な姿勢が必要だ

この問題は私も、自分の考えをdankogai氏に「お前の考えは古くて的外れ」と叱られて、それでもなお解決していない問題だから結構考えさせられるな・・・。まだわからんのか、と言われそうだけど許してください。

自分だけでは「語られていない部分」を補うことができないんです。
だから、「セカンドベスト」や「準合理性」という、壁というか、「箱」から逃れられない・・・。




「負け組」の拡大再生産を防げ! (伊東 乾の「常識の源流探訪」):NBonline(日経ビジネス オンライン)
▼結果的に負けた人々が「愚かな選択=<愚行>をせざるを得ない状況に置かれていた」可能性を考えられないだろうか、と私は考えます。

▼新自由主義は「負けるべくして負ける者」を作り「続けて」はいないだろうか。あるいはそういう構造があるとして、それを発展的、持続的に解消してゆく論理的骨格を素描することはできないだろうか。  「どうすれば勝てるか」「勝ち組に入るにはどうすればよいか」という議論は、世の中にいくらでもありますから、いまさら私が不自由な算数を考える必要もない

いま、この問題を少しでも理解しようと思って、会社を中心に自分の周りで動いているシステムの仕組みを勉強しているところですが・・・。

「自己決定論」は今後の負け組拡大防止にはいくらか役に立つと思いますが、それにしたって、「負けるべくして負けるもを作り続ける」仕組みが、たとえ明確にではなくても疑似的にでも存在するあるのであれば、その情報を伝えないでは片手落ちと言えるのではないでしょうか。勝ち組に有利な方向ばかりでリバタリアリズムを唱えるのもいいけど、最低限やるべきことはやってもらわないと。

また、すでに発生してしまった「もう自己決定できる状態ではない」人間に対してどうすべきか、という話を、政治家さんなり、経団連の方はやってくれないかな。ネットから働きかけられないものか。雇用創出といっても、それが奴隷制度的で、人の尊厳を著しく踏みにじるものであってはいけないな、と。 


例をあげましょう。前日書いた

適応係数17♂ 保険会社の人は、たまには原点を思い出してください・・・

にあるような保険会社の態度が、父親の時代から変わっていないことへすごく憤りを感じます。

日本の保険サービス、特に年金運用なんて利率だけで見れば、失礼だけど全然魅力がない。それを顧客に伝えないし、それを補うためになにもしない。なにより、営業している社員自体がそのことを知らない。何で社員ですら知らないの?・・・なにかが間違っているとしか思えない。

要するに何が言いたいかというと、

「ろくに情報を与えず、とにかくごり押しで消費者や庶民の選択権を奪う」

この「だまし」の構図は昔からずっとあったんです。しかも、情報を伝えないだけでなく、社員が「良いことをしている」と信じてしまっているような精神的なレベルでまで。
モノが売れない時代が20年近く続いて、今ようやくそれが問題になっただけ。

でも、こんなことが許されていいのは、多少人の選択肢が限定してでも、全体として生産する価値が増え、その富を一人も余すことなく最低限は分配できる時代までだよね〜。いい加減時代に応じて変わるべきだと思うんですよ。

今みたいに一つ躓けば人生棒に振りかねないくらいカツカツの人にこういう「だまし」を入れることについて、良心が痛まないような人は私の「神様」理論で地獄におちるがいいです。






■関連エントリ (上の方が新しいです)
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dankogai氏に怒られたエントリ。明らかに表現の選択を誤った。

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読む価値なし。改善してようやく、ひとつ上のdankogai氏のお叱りをいただけるレベル。

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日記:スーツ(笑) side | 13:20:06 | Trackback(0) | Comments(0)
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